玉響記=たまゆらのき=

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秋は何処へ?

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ブルーインパルスが 我が家の上空を通過した日は 確かに「秋」だと思った。
真っ青な秋らしい空だった。
7日は冬が始まる日「立冬」暦に合わせたように冬が来た!何と短い秋だったこと。

d0330311_9393062.jpgそんな頃、我が娘のサロンは開店丸5年という日を迎えた。
東京には 若い経営者も多いようで そんな人たちとも繋がりが出来ているようだ。勿論、一人の力ではない、助けて下さった方々があっての事だが5年間よく頑張ったと思う。
親としては 心配がない訳ではない。いつも気になっている。

何より元気であったこと。健康は老人ばかりではなく若い人も絶対大事なことだ。
支えてくれたMくん初め多くの方々があっての事。親は何一つ出来てはいない。
我が家は 夫が許してくれたからだけど私も好きなことをずっと続けてきた。子供にも進む道は自分で決めることにしていた。高校生の時の目標とは全く違うものになったが自分で考え自分で歩んでいくことが一番かと思っている。

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6日の航空自衛隊奈良基地60周年のイベントの日は前日の事前飛行訓練の日のような青空ではなかったが 平城宮祉には今まで見たこともないほど大勢の人で埋まった。

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動画も撮ったが 前日の素晴らしさを見ているので 曇り空は感動が少なく良い動画とは言えないのは残念である。
これが「秋」というものかもしれない。

その後は寒さが募り いよいよ冬の到来を思わせる。

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こんな時、実家の墓終いをすることになった。
来年の事かと思っていたが お寺の都合らしいが急な知らせであった。
生駒山系の信貴山にあり ご先祖様、祖父母、両親、弟夫婦の水子のお墓を永代供養にする。弟には嫁いだ娘が一人いるだけで 元気なうちに子供の世話にならないようにしたいという弟の意思に従った。
お墓からはあべのハルカスを含む大阪平野が見える。この景色ともお別れかと思うと一抹の寂しさがある。

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今年は夫の妹、私の姉夫婦の3人が亡くなり 喪中のハガキを準備した。
そろそろお知り合いから喪中葉書が舞い込むようになったので我が家も投函すことにした。

それでも年賀状を下さる方があれば寒中見舞いかご挨拶状をと準備をした。


年賀状が来ないお正月は寂しいなぁ






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# by souu-3 | 2016-11-09 14:18 | 雑記

本願寺さん

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東西の本願寺へ。
浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺。その御影堂門は 先に行った龍谷ミュージアムの前にあり そこで皆さんと合流し僧侶による説明を聞きながら御影堂・阿弥陀堂などを案内された。
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平成の大修理が完成し如何しても立派な建物に目が行きがちであるが「逆さ銀杏」と言われ 火災があった時、水を噴き出して消したという伝説がある樹齢400年の銀杏の木、普通 どんどん天に向かって高くなるが 横に張り出した立派な樹である。
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足元も見るようにということで・・・
その一つは他のブログに入れた埋め木

もうひとつは御影堂の前にある天水を支えてる天邪鬼

天の邪鬼は、ひねくれた神 のことで、よく寺院などで見かけるが、仁王さんや四天王に踏みつけられた小さな鬼。
仏教では天の邪鬼は人間の煩悩の象徴だとか。この天の邪鬼は1636年 (寛永13年) からずっとこの天水受けを支え続けているそうだ。 

埋め木もだが 天水受けと天の邪鬼の組み合わせも、昔の職人さんの遊び心だという。

この日、案内して下さった僧侶は気さくな方で みんなの質問にも答えて下さった。

予ねてより気になっていた「亡くなった人がお墓に居るのかお仏壇に居るのか?」
どちらにも居ないという返事だった。この宇宙?この辺りに居るという。
「千の風になって」なのだろうか?
私のようにジッとしていない者は そうかもしれないがユックリのんびりしていたい人は如何なのだろう?
益々判らなくなってきた。お仏壇にお供えし お墓参りに行くのは何故?

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東本願寺へ 徒歩で移動。
西本願寺の正式名称は「本願寺」
東本願寺の正式名称は「真宗本廟」真宗大谷派から離脱した財団法人本願寺維持財団理事長の大谷暢順とその長男・光輪らにより設立したそうだ。

この移動途中に「本願寺伝堂院」があった。
d0330311_1123358.jpg明治45年竣工された建物で ドーム屋根のある八角堂は 町屋建築が並ぶ町並みの中にあって目を引くものである。

浄土真宗の信徒保険会社として建設され、その後、銀行、事務所、研究所、診療所と時代ともに用途を変え、現在は研修所として使われている。と、説明されている。
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その建物の周りに 翼を持つ象や獅子など,空想上の動物・怪獣の像をのせた車止めの石柱が並んでいる。
どうやら22体あるらしい。重要文化財だから、と断りの札(立派な説明板ではない)が掛かっていた。

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京都駅へ戻ると もうクリスマスツリーが聳え立っていた。
今年も後2か月を切った。

【追加】
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5日の事前訓練は真っ青な空だったのに 本番の日は平城宮址まで行ったのに この空の色 "(-""-)"





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# by souu-3 | 2016-11-06 06:03 | 大阪・京都

受け継がれる美とこころ

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9月から始まっている「浄土真宗と本願寺の名宝1-受け継がれる美とこころ」
中でも~三十六人家集と都を彩る美~を見るため 丁度昔、勤めていた会社のOB会で組織するKSS会(関西史蹟散策会)の催しに合わせ 集合時間の前に 会場である龍谷ミュージアムへ出かけた。

d0330311_206265.jpg三十六人家集は藤原公任が奈良・平安時代の歌仙三十六人の詠歌を一人ごとにまとめた家集として編集したものである。
現存する最も古いのは西本願寺に蔵する本で 料紙の素晴らしさと優麗な筆跡は絶妙である。
印刷されたものは所持しているが 実物が見られることは稀で 偶に出展されると何処までも追いかけたくなる。
西本願寺本は 平安末・鳥羽天皇の時代(1107~23)のものと考えられている。
染紙、墨流し、隅ぼかし、雲母の型紋様を刷り出した唐紙に金泥・銀泥や雲母等で下絵や模様など装飾を施し 破れ継も見事である。
d0330311_2022497.jpg筆者は 書風から二十人ばかりに及ぶとされているが 藤原定美・藤原定信・承香殿女御藤原道子等と思われている。

会期中 2帖ずつ展示される。
元真集、小町集、家持集、忠見集、敦忠集が展示されるが 中でも忠見集の「おくればなにのみにかなるべき・・・」のページを観たいと思っていたが この日は忠見集は「むめのはな はるまちわびてさきにけり・・・」の部分であった。ここも良いけれど 目的にはいき合わなかった。もう1帖は家持集の「こそみてし秋の月よはてらせども・・・」
6日~7日ごとにページは替えられるようだ。
2009年に飛雲閣の一般公開を見に行った時のことは ここに

この後、昼食を挟んで
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平成の大修理を終えた東西の本願寺を尋ねた。





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# by souu-3 | 2016-11-03 05:50 | 書道

対談

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福井へ行った。
このところ、リクの調子が芳しくないので前日の夜まで迷っていたが 主人の一声「行ったら良いがな」に背中を押され出かけた。
福井へは何度も行かせてもらったが何年ぶりだろう?駅前の恐竜はTVなどで見ているが以前は無かった。これを見て、「あ!あのホテルに泊まった」「あの病院へ行った」何時だったか泊りでの漢字普及の仕事の時、体調が悪くなったことがあった。そんなことを思い出しながら会場と反対の方に歩いてしまった。

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急いで戻り開場時間の少し前に到着。
白川先生のご長女・史さんと時代小説作家宮城谷昌光氏の対談と元NHKアナウンサー加賀美幸子さんが聞き手となり朗読もされた。~写真撮影はご遠慮下さいと言われたように思うのに撮影した(#^.^#)~
前半は白川先生の著書「漢字・生い立ちとその背景」あとがきの部分を朗読され 先生のご自宅でのご様子などが話された。
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十代の半ばまでに詩経とは出会い、同時に万葉の研究をする内に漢字をひも解く必要があったことなど これらに関することを深く深く研究されたことが窺えた。
甲骨文字をトレースされていたことは知っていたが その数の多さ。我々が書の臨書をする数とは比べられないほどである。
何事も継続が大切。こつこつと努力された様子が判る。
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⇒ 史さんが ご自分に名付けられた「史」の字について説明された。
祝祷を収める器である口(さい)を木に著けて捧げ、神に祝告して祭る意で 祭祀を意味する字であったことは最初から話されたのでなく徐々に教えられたと。以前、史さんから聞いたのは 誕生日が23日だから「ふみ」と。その後に本来の意味を教えられたということだった。

加賀美アナウンサーもご自分の名前「幸」はしあわせで良い字だと思っていたのに
d0330311_619093.png両手にはめる刑罰の道具である。と知ったときは驚いたと言われていた。手かせだけの刑罰で済むのは「さいわい」だという。
私の名前に付く「眞」も行き倒れの形だと聞いたときはショックだった。でも、これらを良い解釈に持って行くのが白川説かな?

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先生のノートには白川の白〔頭顱(とうろ)の形で、その白骨化したもの、されこうべ。雨露にさらされて白くなるので、白色の意となる=字通より)の甲骨文字一字が書かれていた。その中身には綿密に多くの事が書かれていたと ホンの一部分であるが披露された。

後半は宮城谷氏の「沈黙の王」
暫く読んでいなかったのですっかり忘れていたが出かける前 本箱から取り出し往きの列車で読みながら福井まで行ったが その本が偶然に 沈黙の王だった。
読んだばかりの本が朗読され 親しみが持てたのはラッキーだったかもしれない。

のちに高宗武丁となった子昭に、幼児のころから言語障害があったという伝承。
武丁は甲骨文字の時代の王である。
「文字をつくった王」と帯に謳っていたらしいが 何故か帯は紛失していた。
子昭は商の国に戻るが小乙はすでに死んでいて、子昭がそのあとを継ぎ、武丁を名のった。武丁は人が喋るだけで消えてしまうのではない言葉「目に見える言葉」をつくろうと決意した。武丁は百官の部下に「文字」づくりを命じ、貞人がその役目をした。『高宗武丁の言葉は、いまだに甲骨文でみることができるのである』と、とても感動的な締めくくりになっている。
著者は「小説です」とは言われたが作家の博識には驚かされる。

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この会場は「AOSSA」という。「会おうさ」という方言からきているという。
この名前を聞いたとき、わが市にも この名前のレストランがある、と。福井のソースかつ丼とお蕎麦を供する店であった。過去形に書いているのは 嘗てあったからで今は閉店している。が、この通り看板は今もある。






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# by souu-3 | 2016-10-31 06:14 | 文字の成り立ち・漢字

白川静先生

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福井県には「ふるさとの日」というのが2月7日にあります。福井県が誕生した日だそうです。
今から13年前の2003年福井県出身の白川静先生が表彰され記念の講演会を催されました。

今頃、何を?とお思いでしょう。
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こちらの写真は2006年9月16日 京都市総合教育センターでの講座の時です。

そうなんです。
この年の10月30日に亡くなられたのです。あれから丁度10年。
最後の講座でしたが いつも2時間の講話では立ちっぱなしで大きなお声でお話しされるのです。
この日は座っての話でした。

d0330311_16204147.jpg平成9年(1997年)に文字文化研究所の所長・理事長に就任され平成11年(1999年)より「文字講話」が始まり24回続きました。
この文字講話で多くの事を学びました。

⇦ 平成16年(2004年)に文化勲章を受章され 翌年3月福井市名誉市民、同年10月に京都市名誉市民の称号を贈呈されました。
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平成15年(2003年)に 17名の仲間と共に漢字普及講師に認定されました。

沢山の思い出を作っていただいた先生との出会いを作っていただいた I さんをはじめ多くの方々のお世話になった割には 活動も出来てはいませんが 命がある限り出来る範囲で頑張りたいとは思っています。

明日29日 福井では「白川静博士没後十年記念フォーラム」が開催されます。









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# by souu-3 | 2016-10-28 05:45 | 文字の成り立ち・漢字

大盂鼎

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西周の金文を読み解く講習会に出席した。今更と思われそうだが大盂鼎の中に書かれている この文章は書道をやるものにとって読めなければならないものだとは思うが つい、素通りしたくなる。
こういう機会があってこそ難しい文字も判り内容もある程度理解出来る。
例によって又忘れるのだろうけれど知った上で忘れるのと初めから知らないのでは違うだろうと思う。
今まで この鼎との接し方は作品を書くために文字を集字する程度だった。
何年 書道をやっているのかと言われそうだが・・・

ここに出席される人は関心のある人ばかりだとは思うが 同じ学校の同窓生(私はよそ者だが)の催しである。中には楽しい人が居て 全く知らない者とも仲良く接して下さる。
d0330311_16564100.jpg会場の近くにお住いの人が 「トネリコの木 要るか?」と、いや「トリネコの木」と確か言われ大きな立派な花ではないが咲くということだったので何気なく「はい」という感じだった。
そこで3人がご自宅まで付いて行くことになり おまけにお家まで上がり込んでお茶まで頂いた。
急な厚かましい客を3人も連れて来られたのに 奥さまも気持ちよく招き入れて下さった。

そこで頂いたのが この木。⇦ 成長も早く大きくなるそうだから小さめのを戴いた。
名前もアヤフヤだったので検索すると どうやらトネリコで「樹皮に付着しているイボタロウムシが分泌する蝋物質があり・・・」
え?イボタロウムシ!去年、年賀状を加工する時に使ったイボタ蝋だ。
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こんなところで 繋がりがあるとは!
急に昨年の事が蘇った
動きの悪くなった敷居の溝にこの白蝋を塗って滑りを良くすることから「戸に塗る木」とされたのが転訛して「トネリコ」と発音されるようになったものと考えられているそうだ。

この日、会場へ行く前
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大阪で こんなことをやってるよ。と誘っていただきランチを楽しんだ。
500円ランチパスポート。期間はあるがお安く食事が出来、お喋りも出来た。
思いがけない良い時間だった。





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# by souu-3 | 2016-10-25 06:15 | 文字の成り立ち・漢字

近ごろ=輓近=

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先日、ならまちの筆屋さんで購入した固い筆で書いてみた。
「熙・キ」
巸の部分は婦人が授乳している形だというが これは女性にとって幸せなとき、喜びだ。それに烈火が付き和楽、和平である。
和楽=みんながなごやかに楽しむ。良い言葉でしょ。

実は この筆で力強く大きな文字を書きたい。破筆を楽しもうと思って買った これから又書く文字を考え作品にするつもりである。
手始めに小さいものを書いたが 破筆になるよう紙も凸凹のある手漉きのものの裏を使ってみた。この漢字の意味のように和やかではない。

和やか・・いや心穏やかでない昨今である。
これは天候が 大いに関係している。暑過ぎた夏、長雨・・・
野菜が高騰している。
TVで見る限り 高いのは判るが軽い軽いレタスが400円、ほうれん草など葉ものが高い!白菜は1/4にカットされたものばかり並んでいるが これって小さくない?
ある程度売れる値段にするには こうするしかないのだろう。生産者もタイヘンなら商売人も大変だろう。
でも、消費者も辛い!健康を考え毎食 野菜を欠かさず多めにと考えるとねぇ~

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d0330311_16563496.jpg今朝、この赤い花が咲いた。
この花には名札を付けているが 何故かいくつも付けていて ドレなのか?
「ネリネ」「リコリス」「ダイヤモンドリリー」
検索しても もひとつハッキリしない。
野生の彼岸花を含めて、彼岸花類を総称して園芸上ではリコリスと呼んでいるらしい。
このリコリスの球根も沢山の色と形のものがある。
数年前、購入し名札を付けたのだろうけれど 消えてしまっては書き直したり増やしたりしたのか 時間が経つと忘れてしまう。その内、頭の中がゴッチャになる。これをボケというのだろうか?
だんだん 自信がなくなる。あ~ぁ!!






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# by souu-3 | 2016-10-22 05:41 | 書道

古都祝奈良 Ⅱ

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「古都祝奈良」は9月から始まり いよいよ終盤を迎えている。

9月13日に載せた春日大社での「まだ かみさまがいたるところにいたころの ものがたり」や西大寺、 前回の記事の大安寺など 大規模なものが作られている。

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ならまちにも数か所あり、公納堂町の路地奥に作られている「人間の家」と題され、古着を集めて住民と共に制作されたパッチワークの家がある。

d0330311_15254786.jpgここは いつも行く筆屋さんのすぐ近くだが江戸時代から呉服商を営まれていた跡地だとか。
期間中、台風で壊れたようだが復活された。

この古着からパッチワークにするとき、取り除かれた釦を ⇦ 雨に見立てて鎮宅霊符神社に展示されている。霊符神社は 笑顔の狛犬がいる神社だ。
「ボタン/雨」
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イメージでは こんな感じ。⇑(パンフレットより)
この神社は 我が子(犬)の かかりつけ獣医さんのすぐ近くで 公納堂の会場へ行く途中である。

これらの催しは23日まで。





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# by souu-3 | 2016-10-19 05:55 | 奈良

公民館まつり

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16日、1日だけの展覧会、公民館まつりに出品した「発泡スチロール刻字」作品。
甲骨文字や篆書体、隷書体、草書体、行書体の1文字から4文字程度の作品である。
発泡スチロールは粗いので余り細かい文字は書き難いのと練習しておくとは言え 一発勝負のようなものだから 字数の多い作品を好まない人が多い。

この作品の他、例年通り軸や額の作品も展示している。

そして
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出前授業で皆さんが教えた小学生の作品。
墨で書いた甲骨文字を並べた後に色付きの文字などを賑やかに並べられ 文字が沈んでしまったように思ったが 写真に撮るとそうでもなく面白い作品になったと思う。
これは子供たちが楽しんで描いたようだ。

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学校での授業では見たままが漢字となった象形文字の他、会意文字も書いたので会意文字にも親しんでもらいたいと 誰も知っている文字で飛び出すカードを作ってみた。
「木」を並べ「林」になり 更に飛び出す「木」を組み合わせて「森」となるように作成した。
他に「好」など。そして、
d0330311_635482.png左右の足跡の形と阝(神梯)を組み合わせて「陟」チョクと読み「のぼる」こと。
d0330311_20325423.png「降」は この足跡を逆さまにした形と阝(神梯)を組み合わせた形。
左右の足跡を交互に動かすと「歩」となることは何度か書いた。
左足の足あと止+右足のあしあと少、左右の足あとを連ねて歩行の意。
陟と降は 足跡の形を変えて こんな風に漢字を作った。
これが古代の人の漢字の作り方だったのだ。

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ご近所さんが大安寺へ行かれたと その すぐ傍にある『大安寺伽藍絵図』に描かれているという推古天皇社の写真と奈良大芸術祭参加作品「足場の塔」の写真を送って下さった。
そう遠くない場所で色んな催しが開催されているが中々行けない。





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# by souu-3 | 2016-10-16 06:17 | 文字の成り立ち・漢字

おー!TAKARAZUKA !!

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亡き姉たちの納骨も済ませ 家の片づけをしている。
棚にあった両親の写真にはお茶やお菓子を供えていた。そのまま業者の手でゴミとして捨てられるのは忍びない。額から出して写真だけ持ち帰ることにしようすると・・・ その裏にこんな ↑ 写真が出てきた。
姉が大好きだったよっちゃん(春日野八千代)の写真、マッちゃん(寿美花代)テーリー(明石照子)ノロちゃん(南風洋子)そしてネコちゃん(有馬稲子)
長谷川一夫に「ヨッチャンの源氏には負けた」と言わせたといわれる春日野八千代の光源氏の写真にサインを貰ってあるが そんなこともあったのだ。
知らなかった!

私が姉に連れられて初めて宝塚へ行ったのも春日野八千代、音羽信子主演の「ホフマン物語」だった。

姉の子供たちより古い付き合いであるから 思い出すことは大昔!一つずつ見ると我が家の荷物が増えるので 
見ない!見ない!!

全く見ないでおこうと心に決めていたが 我が家に関係のあるものが出てきて姪たちに「如何する?」と言われると ほっては置けない。
二人での生活が終わるということは何も必要なくなる。
片づけなければ 教えられた気分である。


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姉の家に行くとき、当駅でお相撲さんに出会った。
d0330311_9554957.jpg顔を見ても 何という力士か判らない。
声を掛けて聞くのもなぁ

電車が近づいてきて立たれたので 隠し撮り。
それを ここに載せるって 如何なのよ!?
浴衣には「豪栄道」と書かれていた。
同じ部屋の人か付き人か?

そういえば
豪栄道に 大阪府から「感動大阪大賞」が贈られたそうだ。
9月場所で大阪府出身力士として86年ぶりに全勝で幕内優勝したんだものね。

刻は巡り 色んな事が過去の事になる。
ちょっぴりおセンチになる「秋」だ。





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# by souu-3 | 2016-10-13 10:05 | 雑記
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一瞬のきらめきを求めて


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