玉響記=たまゆらのき=

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歌碑

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d0330311_16575097.jpgクリスマスという名前が付くのに いつもX'masには咲かない花だと文句ばかり言っていると 今年はまぁ頑張って1月に咲いた。

クリスマスローズという呼称はクリスマスのころに開花する「ヘレボルス・ニゲル」だけを指した呼称だとネットにはあった。
日本の園芸市場では「レンテン・ローズ」と呼ばれる「ヘレボルス・オリエンタリス」なども「クリスマス・ローズ」の名前で出回る。20世紀後半の品種改良は主にイギリスでヘレン・バラードや、エリザベス・ストラングマンによって進められた。「クリスマスローズ」という呼称も「イギリスのクリスマス」に開花するという意味である。とも書かれていた。
え!?イギリスのクリスマスって何時?
また、検索したが誰もが知っているクリスマスと違う時期だと出ているものはない。
更に調べるとイギリスの気候で毎年クリスマスの時期になると咲きだすのだと。イギリスではクリスマスの時期に咲くのか?
成~る程!


先日、歩いた道で見かけた歌碑
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夜麻登波 久邇能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯

倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる倭し麗し 孝書   《古事記中巻》

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野絶魔俱你都魔々祁哿泥底 播屡比能哿湏我能俱你々 俱波絶謎唯阿利等枳々底

八嶋国 妻まきかねて春日の春日の国に麗し女をありと聞きて真木さく檜の板戸を押し開き我入りまし時 
中大兄皇子御製


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あし引の山行きしかば やま人のわれに得しめし山つとぞこれ
=山道を歩いていたところ たまたま逢った山人が 私にくれた山の土産である これは=
元正太上天皇が 山村に行幸した時に詠まれた

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あし引の山に行きけむ 山人の心も知らず山人や誰

=そもそも山にお住いのはずの仙女様であられる陛下が山へ行かれたとか仰る山人とは 誰のことでしょう=

二首の歌は元正上皇が詠んだのに対し、舍人親王が上皇御自身が山の仙人なのだから、わざわざ山に入った意図が分からないし、目の前にいる上皇御自身は確かに仙人だが、山の中にいた仙人と云うのは一体何者だろう」と戯れた。「山人」は「仙人」の意。
この2基の碑は 山村御殿(円照寺)近くにあった。

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玉砂利の奏楽めくや初詣  阿波野 青畝




More =古事記朗唱大会=
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by souu-3 | 2014-01-29 06:53 | 奈良

春日大社大とんど

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成人の日が15日だった頃は その日に若草山(三笠山)の山焼きが催されていたが 1月第4土曜日に変更されて数年が経った。
その日は飛火野で春日大社大とんども開催される。
朝から準備が進み13時より、注連縄やお札、書き初めなどを焚き上げ、無病息災、五穀豊穣を願う火祭りであるが、この火が若草山山焼きの種火となる。
「山焼き」の点火の様子を2010年You tubeにUPしているのでリンクします。
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山焼き前の若草山。この日は曇りぎみではあったが夜になって降り出した雨の影響もなく 無事、行事は終了した。


この日は
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d0330311_884356.jpg近くの老人会の歩こう会の新年会を兼ねた初詣だった。

このレストランには 1988年に開催された「奈良シルクロード博」に使われた駱駝のはく製が残されている。
この博覧会は娘が高校に入学しこの辺りを通学していたので思い出があるが 忘れてしまった人も多いようだ。 
印象深い催しではなかったかもしれない。

食事をし お喋りをし 今後の報告を聞き・・・
これだけで解散。

ちょっと歩き足りないと思う6名は 自宅まで歩いて帰ることになった。


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昨年は大神神社だったが今年は春日大社
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「出現石」とも「額塚」とも言われる石で 太古の昔、神様の慿代(よりしろ・神霊が依り憑く対象物)として祀られた磐座がここから現れたので「出現石」または雷火で落下した社額を埋納したともいわれている石なのだそうだ。

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春日大社一の鳥居から 高畑、百毫寺の下を通り 山の辺の道に入る。円照寺を経て今井凌雪先生宅の前を通って車の少ない道をテクテク。
朝のウオーキング、帰宅後の犬の散歩も合わせて この日は34098歩。d0330311_16521511.jpg
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by souu-3 | 2014-01-26 08:49 | 奈良

下ツ道を行く 4

稗田の環濠集落を通り平城宮羅城門跡へ佐保川沿いに 北へ進む。
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佐保川の清き川原に鳴く千鳥かはづと二つ忘れかねつも
千鳥やかわづが居たのかなぁ?万葉に読まれている「かわづ」は河鹿蛙といわれているが 今はどちらも見たことがない。きっと川の水も今より綺麗だったのだろう。

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奈良時代に、矢田寺参りの分岐点の道しるべとして創設された。周囲に、外部からの災いを防ぐために枳殻(からたち)が植えられたことから、「枳殻(きこく)地蔵」と呼ばれるようになった。

堤防の拡幅工事のため、郡界橋の架け替え工事を行う際に現地蔵堂は平成18年に現在地に移設され 移設前の地蔵尊側にはイチョウの大木と枳殻の木が生えていたが、季節の移り変わりが楽しめたイチョウの大木は 残念なことに移植出来なかったが 枳殻の木は、移設後、きこく地蔵尊にちなんで、苗木が地蔵堂裏側に植えられ 今も春になれば白い可愛い花を咲かせ 秋には実が沢山付く。
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羅城門があった辺りには 古い橋が掛かっていた。
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長い間には橋桁が1本なくなり 危険なため通行禁止になり 新しい大きな橋が架けられ この来生橋は取り外された。
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羅城門から北に朱雀門、大極殿が一直線上である。夜、ライトアップされるとくっきり見える。
(写真は出原氏提供)
この辺りは 30年来、毎朝ウオーキングしている場所である。
長い年月には移り変わりがあったが 古代の人と同じ道を通っているという気持ちだ。

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秋篠川が佐保川に合流するところだが このまま真っ直ぐ3、7K 進みたいが ちょっと細い道からJRと佐保川を越え柏木公園の横を通って多少ウネウネと平城宮址まで一直線ではないが頑張ろう。それが嫌なら 堤防の端にある北向き地蔵から東の国道24号線沿いに進むか 西へ秋篠川沿いにあるサイクルロードを行くことになる。
ここに遊歩道を作ると言う話があり 私は90才くらいになるかもしれないが それまで頑張ろうと思っていた。しかし、最近、そのような話を聞かなくなった。立ち消えていないだろうか。水面下で計画されているのなら良いのだが。              

            【ー下ツ道を行くー お終い】

 

寒中お見舞い申し上げます
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by souu-3 | 2014-01-24 14:35 | 奈良

下ツ道を行く 3

田原本から夫々の自宅を目指して2回目のウォーク
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田原本の町役場の前には 鍵遺跡からの出土品をイメージしたもののモニュメントが展示されている。

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鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)
ここでは親切な方が「案内しましょう」と自転車を止めて神社の中へ入らせて下さった。

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赤い鳥居をくぐり進むと社殿、拝殿、その後ろには垣に囲まれた三棟の本殿がある。

己の魂が宿るものとして最も崇敬した鏡類を製作鋳造することを業としていた鏡作部が、この地一体に住居し、御鏡(天照国照彦火明命)並びに遠祖(石凝姥命)を氏神として開いた神社である


← 大きなエノキには寄生木が見える。
寄生木はエノキ・ケヤキ・クリなどの樹上に寄生するもので枝は丸く緑色で,叉状に分枝して全体球形に茂る。

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首切り地蔵
この地に美人で親の手助けをし、ひたすら仕事と学ぶことを楽しんでいたユキさんという娘がいた。年頃になり嫁に欲しいと言う若者が多かったが色よい返事をしなかったので 月の夜ユキさんを殺そうと寝ている時、首をめがけて鉈(なた)を振り下ろそうとした。すると石の地蔵さんの首が落ちていた。
そのお地蔵さんだという。

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安養寺
寛永10年(1633)に創立され源蓮社宝譽上人が開山した。
大きな赤い提灯には「献燈」と書かれている。上の方に「献」その下の字が火ヘンは判るが旁が草書体で判り難い。

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d0330311_194161.jpg今里橋 大和川船運の寺川筋の船着場「今里の浜」
鉄道交通が発達するまで大阪と大和の物資交易を行うための物資の荷揚げ場だった所のようだ。

下ツ道の通りの中でも 田原本町はカラー舗装をし鍵遺跡などの表示板が道路に埋め込まれている。
道の端の方には この今里の浜を行き来する舟のイメージを描かれたものも埋め込まれ 判り易くなっている。
この絵柄は町役場に問い合わせると 今里の浜との返答であったが 唐子・鍵遺跡の書物に同じ絵があった。
橿原市、田原本町、天理市、大和郡山市と続く下ツ道の中でも 立派な町役場やこうした表示板など整っているのは田原本ではないだろうか。近くに住んでいても全く判らなかったが 歩いてみて初めて気が付いた。


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大和川と布留川の合流地点まで来ると 天理市である。

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二階堂の由来になったらしい 二階堂地蔵
聖徳太子の妻・膳夫姫(かしわてひめ)が養母の菩提の為に建立した膳夫寺の跡地に建てられたお堂で そのお寺が二階造りに似ていたため「二階堂」と名付けられたという。

天理はホンの一部分しか通らないが 間もなく大和郡山市である。

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嫁取り橋
花嫁が通ると大蛇にとられてしまうという伝説が残る。
恋をした18歳のこまのは 池に映る姿を本物と間違えて落ち命を落とした。こまのは大蛇と化し 若い女性への嫉妬のあまり この橋を通る花嫁行列を襲ったという。

段々、見慣れた景色になってきた。
進むほどに 地元の学校が見え、東の山も西の山も家から見るのと変わらなくなってくる。

この日は稗田の環濠集落まで。
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4人の元若者は無事到着!


この続きは毎日歩いている道へと

【続く】
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by souu-3 | 2014-01-22 20:30 | 奈良

下ツ道を行く 2

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東西に横断する横大路と南北に縦断する下ツ道が交差する ここは古代からの交通の要衝だった。
江戸時代になると 横大路を含む河内から伊勢に通じる道は、初瀬街道または伊勢街道と呼ばれるようになり、
下ツ道は中街道と呼ばれ北は平城京の朱雀大路に達し、前回出発した地点をさらに南へ行くと吉野・紀伊方面に通じていた。日本最古の国道ともいわれている。
この2つの街道の交差点が「八木札の辻」で、ここは、近世・江戸時代になると伊勢参りや大峰山への参詣で大変賑わった。
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ここに、古い旅籠が残りそのうちの一軒が「東の平田家」として橿原市指定文化財に指定されている建物で橿原市に寄贈され、改修工事を経て、平成24年7月に八木札の辻交流館として一般公開されている。
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嘉永6年(1853年)に描かれたという絵図には賑わいが描かれている。
高札の脇にある六角形の井戸は半分になっているが この通り現在も残っている。
d0330311_1150067.jpg高札(こうさつ)とは、古代から明治時代初期にかけて行われた法令を板面に記して往来などに掲示して民衆に周知させる方法であるが 奈良市の三条通、南円堂の階段を下りた辺りにも 残されている。
これは 時代劇などでも見かけるが Wikipedia によれば「明治7年(1874年)に廃止され2年後には完全に撤去されたようで 明治維新とともに法令が一変して、手続が追いつかない」と書かれていたが 時代と共に世の中の移り変わりが こんな所にも感じられる。
 この建物の中は
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d0330311_13273592.jpg玄関を入り 今でいう帳場のようなところで手続き?をし 宿泊は2階へ上がる。

1階は この家の住まいだったらしい。

急な階段は当時の材木を残してあるので立ち入り禁止。
別に作られた階段から上って見学出来る。
2階には客間が6部屋、広間が2あり ここから屋根越しに耳成山が望める。



赤いポストのある部分が交差点である。
   ↓


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部屋の欄間は 伊勢への道であったからだろう。二見ヶ浦や伊勢の海を表す波や松林などが描かれている。
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一つ、非常に気になったのが
掛け軸である。

「松菊猶存」
谷 三山書(釈斎の落款がある)
江戸時代後期の儒者で 通称 新助、のちに昌平と改める。三山は号、別号は、淡庵、淡斎、釈斎。
八木村(現在の八木町)の米屋などを営んだ商家倉橋屋に生まれたが、幼い頃目と耳を患い、聴力を失ったが その見えない状態で書かれたものだという。
三山の卓越した学識を認めた頼山陽や吉田松陰など幕末の知識人とも親交があったようだ。


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松尾芭蕉も この地で宿泊しているらしい。
「草臥(くたび)れて 宿かる比(ころ)や藤の花」
1688年 八木町に一泊しているが八木町の旅籠の発展からして この辺りであろうと思われている。

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ここより下ツ道をさらに進む。この道標の側には 多神社の一の鳥居がある。
この神社がある笠縫を越え 田原本へ。



残念ながら家庭の事情で早めに帰宅しなければならない。

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この日は 25,710歩 12.8Kであるが 

この続きは後日、ここから歩くことにした。


 

【 続く 】
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by souu-3 | 2014-01-20 07:57 | 奈良

下ツ道を行く 1

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大和の古道は奈良盆地の東に「山辺の道」奈良盆地の中央より東を南北に平行する三本の縦貫「大和三道」東西に平行する二本の横断道「横大路」中央部を斜め(北北西-南南東方向)に通る道「筋違道」があった。

その大和三道である上ツ道、中ツ道、下ツ道の内「下ツ道」近くに住む4人の若者?がここを歩くことにした。
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最寄駅から岡寺駅まで電車で約30分。ここから徒歩で25Kほど北へ行くと平城宮址である。
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d0330311_601714.jpg丸山古墳(見瀬丸山古墳)は6世紀後半に築造されたと推定されている前方後円墳で、欽明天皇と堅塩媛の陵墓との説もある。
この辺りから下ツ道を出発!


← 万葉ホール敷地内に碑がある。
裏面には「飛鳥に宮がおかれ、京と外界を結ぶ大路とし築かれた下ツ道は奈良盆地を縦貫し、藤原京と平城京を成立させた。二つの京を誕生させたこの道は現在そして未来へ連綿と人々が行き来する道である」と書かれている。



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左に畝傍山を

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車の多い道を通り 神武天皇陵へは寄らず只管歩く。
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お喋りしながら歩くと何時の間にか ドンドン北へ進み 藤原宮跡を通り
d0330311_6103477.jpgふと、左手を見ると神社の こんもり茂った木々に魅かれて 寄ってみる。

正面ではなく横というのか裏なのだろうか?可愛い小さな鳥居があった。

正面には立派な鳥居もある。
鷺栖神社
中臣氏の氏神として祀られていた神社で、飛鳥の鳥形山(現在の飛鳥坐神社が鎮座する山)にあり藤原宮遷都の際に持統天皇が藤原不比等の助言で分祀したといわれている。



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さらに 進むと右手に耳成山

そして
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下ツ道らしい 古い街並みに
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横大路との交差点に到着
「八木札の辻」この辺りは元々宿場町であったらしいが その面影のある建物は4軒ほどらしい。

ここからは次回に続く
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by souu-3 | 2014-01-18 06:32 | 奈良

アホは高い所へ・・・

成人の日「あべのハルカス」で3月にオープンする展望台の60階まで階段で上る「地上300メートルの成人式」があった。新成人96人が参加。たすきに思い思いの抱負を掲げ、1637段を約40分かけて、日本一高いビルを上った。
この人たちがタイトルのようだと言うのではない。
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2014年3月7日ウイング館の残りを含めて「あべのハルカス近鉄本店」の全館がグランドオープン!
展望台の予約受付も始まった。

3月いっぱいは予約のみということで ネット申し込みでは無理だろうと思いながらも「タイトルの人」は申し込んだ。

時間に余裕のある者は土日を割け早い時間も厭わず比較的皆さんが狙わないだろうと思われる時間帯を申し込んだ。
第5希望まで15名も申し込めたが5名分にした。オープン当初より10日あまり経ってから。
姉夫婦と私たちと後1名。姉の子供に声を掛けたが先の予定は経たないのでパス。我が子にも一応メールをした。「ハルカスって何?」という返事。興味なし!
これから友達にも声を掛けてみよう。

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8日に申し込んで15日に抽選。行くのは3月18日9:30。
さぁ、天気は如何だろう?300mってちょっと足が震えそうだけど。


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d0330311_6143619.jpg私が そう思っているだけかもしれないが、ここ数年、雀を見かけなくなったような気がしていた。
が、1,2年前から また可愛い姿を見せてくれるようになった。

先日、買い物に出かけようと家を出ると前の緑地に沢山の雀が あっちの木からこっちの木へと飛んだり止まったりしていた。
「我と来て遊べや親のない雀」「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」雀といえば一茶の句が閃く。
が、一茶以外にも
「雀子と声鳴かはす鼠の巣 芭蕉」「雀子やあかり障子の笹の影 其角」「人の親の烏追けり雀の子 鬼貫」「人に遁げ人に馴るるや雀の子 鬼貫」「飛かはすやたけごころや親雀 蕪村」
色んな人が雀を楽しんでいる。
可愛いと思う人は多いんだろう。
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by souu-3 | 2014-01-16 06:27 | 雑記

なた豆の成長

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昨年5月「なた豆」の種の植え付けをし その成長を記録した。
10日余りで芽が出てきた。その後は順調に成長する姿を見るのが楽しみだった。
「ジャックと豆の木」のモデルだと言われるほどグングン伸びる。
7月下旬には花が咲いた。赤い種と白い種を植えたが白い花が先に咲き、20日ほども遅れてピンクの花も咲いた。酷暑だった夏も元気で実は成長した。売られている豆のようには成長しなかったが 結構、膨らんできた。
茶色くカラカラになるまで置くべきか 霜が降りるとダメになるとも聞いていたので取り入れるべきか迷ったが軒下でもあり 年が明けるまでそのままにしておいた。
中身は小さめで 買った種のようにはならなかったが 昨年のように早めに収穫したものがカビ(黴)てはいない。生り物は楽しみだけど難しい。



8ヵ月余り 写真記録を残した。お粗末でした。
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by souu-3 | 2014-01-13 21:31 | 雑記

歩道橋ネーミングライツ

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阿倍野に新しく出来た歩道橋の名前が昨年11月から「鮨屋萬助・阿倍野歩道橋」という名前になった。
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JR大阪駅(阪急梅田)の前にある歩道橋も
「rohtoよろこビックリ梅田新歩道橋」という。
こちらは昨年の6月からでパートナー企業はロート製薬。

歩道橋の通称名の命名権(ネーミングライツ)を募集したもので これらが命名されたものだ。大阪市建設局が管理する歩道橋の内130橋で募集しているようだが 海老江に林クリニック歩道橋があるらしい が、まだまだ多くはない。

阿倍野歩道橋のパートナー企業は大阪寿司(雀寿司)で有名な「すし萬」だがその説明にリンクしておこう。

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あべのハルカスには2店舗あり12Fの「すし萬」と9Fの「あるにあらむ」
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「あるにあらむ」は喫茶と軽食の和カフェで 吉井勇さんがすし萬に贈った「すし萬の雀鮨をば もらいたり その日よきこと あるにあらむ」から名付けられたそうだ。
食べたいと思うのがあるが平日の16時からでないとダメだと言う。何度か聞いたのに又忘れて聞いてしまった。
今日は主人が道頓堀の今井とコラボされた鴨ナンバと大阪寿司を。私は茶巾寿司の餡かけ。寿司ごはんと熱々のあんかけ、美味しいのか?そうでないのかよく判らないが。

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目下、最上階は14階、ここから通天閣や天王寺公園が望めるが 3月の展望台の開業が待たれるところだ。
一応ネットで予約を入れたが抽選なので無理だろう。暫く待てば何時かは上れるかな。

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と、言いながら 14階でもシースルーのエレベーターでさえ下をのぞくと足が竦む。このエレベーターから店内の飾りがキラキラ。
偶には主人とこんな時間も持ちたい。
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by souu-3 | 2014-01-11 19:14 | 大阪・京都

寒中お見舞い!

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アメリカを襲った過去20年間で最も強い寒波は ミネソタ州からモンタナ州に至るまで最低気温は摂氏マイナス40度、体感温度ではマイナス51度って どんな感じなんだろう。
それに比べれば大したことはないけれど 去る7日の朝は風もなく朝日が出てきたころ・・・

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足元は真っ白

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霜が凍っている。

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3年ほど前、ブログにも載せたことがあるアイスプラントに似ているように思った。
これは表皮に塩を隔離するための細胞があるため葉の表面が凍ったように見えることから塩菜といった。

その翌日、8日は
一日中「雨」

そして明日10日頃 寒さが厳しくなると言う。大寒波が来るらしい。
寒に入り 大寒の20日~立春の前日までが一番寒い時期であるが、この時期の水には雑菌が少なくとても体に良い状態であるとされているため、味噌・お酒・醤油などの水は この時期にくまれたものが使われるとか。
墨や紙も この寒い中での製造が盛んだ。
せめて寒中見舞いを出そう。

=御御御付け=
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by souu-3 | 2014-01-09 04:50 | 雑記
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一瞬のきらめきを求めて


by souu-3
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