玉響記=たまゆらのき=

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カテゴリ:大阪・京都( 37 )

本願寺さん

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東西の本願寺へ。
浄土真宗本願寺派の本山である西本願寺。その御影堂門は 先に行った龍谷ミュージアムの前にあり そこで皆さんと合流し僧侶による説明を聞きながら御影堂・阿弥陀堂などを案内された。
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平成の大修理が完成し如何しても立派な建物に目が行きがちであるが「逆さ銀杏」と言われ 火災があった時、水を噴き出して消したという伝説がある樹齢400年の銀杏の木、普通 どんどん天に向かって高くなるが 横に張り出した立派な樹である。
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足元も見るようにということで・・・
その一つは他のブログに入れた埋め木

もうひとつは御影堂の前にある天水を支えてる天邪鬼

天の邪鬼は、ひねくれた神 のことで、よく寺院などで見かけるが、仁王さんや四天王に踏みつけられた小さな鬼。
仏教では天の邪鬼は人間の煩悩の象徴だとか。この天の邪鬼は1636年 (寛永13年) からずっとこの天水受けを支え続けているそうだ。 

埋め木もだが 天水受けと天の邪鬼の組み合わせも、昔の職人さんの遊び心だという。

この日、案内して下さった僧侶は気さくな方で みんなの質問にも答えて下さった。

予ねてより気になっていた「亡くなった人がお墓に居るのかお仏壇に居るのか?」
どちらにも居ないという返事だった。この宇宙?この辺りに居るという。
「千の風になって」なのだろうか?
私のようにジッとしていない者は そうかもしれないがユックリのんびりしていたい人は如何なのだろう?
益々判らなくなってきた。お仏壇にお供えし お墓参りに行くのは何故?

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東本願寺へ 徒歩で移動。
西本願寺の正式名称は「本願寺」
東本願寺の正式名称は「真宗本廟」真宗大谷派から離脱した財団法人本願寺維持財団理事長の大谷暢順とその長男・光輪らにより設立したそうだ。

この移動途中に「本願寺伝堂院」があった。
d0330311_1123358.jpg明治45年竣工された建物で ドーム屋根のある八角堂は 町屋建築が並ぶ町並みの中にあって目を引くものである。

浄土真宗の信徒保険会社として建設され、その後、銀行、事務所、研究所、診療所と時代ともに用途を変え、現在は研修所として使われている。と、説明されている。
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その建物の周りに 翼を持つ象や獅子など,空想上の動物・怪獣の像をのせた車止めの石柱が並んでいる。
どうやら22体あるらしい。重要文化財だから、と断りの札(立派な説明板ではない)が掛かっていた。

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京都駅へ戻ると もうクリスマスツリーが聳え立っていた。
今年も後2か月を切った。

【追加】
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5日の事前訓練は真っ青な空だったのに 本番の日は平城宮址まで行ったのに この空の色 "(-""-)"





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by souu-3 | 2016-11-06 06:03 | 大阪・京都

天満天神繁昌亭10周年

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昨夜は中秋の名月。旧暦の秋の真ん中。
今日は十六夜。実は今年の満月は中秋でも十六夜でもなく17日なのだそうだ。どの日の空が一番綺麗なのだろう。
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十五夜は雲多し。d0330311_16405647.jpg
  
     地下鉄の釣りビラに → こんなビールの広告があった。
十六夜の月というビール、秋限定。限定という言葉には つい、となるが和菓子と違って??

しかし、

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天満天神繁昌亭が15日で丁度10年。開演前に1丁目から7丁目まで2.6km約600店舗ある 日本一長い天神橋筋商店街を 上方落語の面々70人がお練りをし 繁昌亭の前で鏡開きが行われた。
ここで慣れない升酒で祝酒を戴いた。夫が少ししか飲まず お返ししようとして文福さんに飲むように言われたので つい全部飲んでしまった。
暫くしてお腹が熱~くなったが 落語を聞き口上を楽しんでいるうちに何でもなくなった。ずっと飲めないと思っていたけれど飲めるのかな?

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繁昌亭の前は マスコミの人などで大賑わい。
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この日は3回あり 第1回目を聴いた。口上では会場の人も一緒に大阪締めをした。
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この日のお土産は記念のクリアファイル。





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by souu-3 | 2016-09-16 05:20 | 大阪・京都

誕生の地

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花も 予期せず開花して喜ばせてくれるものもあり 待ちに待ってやっと咲いてくれるものもあり・・・
このサギ草は後者だ。数年前ブロ友さんから教えられ水苔だけで栽培し球根を増やすと良いと。お蔭様で沢山の葉っぱが茂り大きくなってきた、茎も伸び始め 随分焦らされたが蕾が付いても中々開花しなかった。
やっと!やっと一輪  二輪と 咲き出した。伸びた茎は20本はある。夫々に2~3の蕾が付いている。一度には開花しないだろうから 長く楽しめるのかもしれない。

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先日来、覚えているご先祖様のことを書きとめているが 私が生れ幼少を過ごした大阪は 戦火に遭い幼い記憶とは程遠い。写真と言うのは そういう記憶を呼び覚ます材料になる。
何もかも焼けてしまった我が家に幼稚園の卒業アルバムが残っている。ちょっと不思議だが こんな砂場らしきものがあったらしい。
後に大きな屋根が見えるが広教寺(願教寺)というお寺があり 大きなイチョウの木や真宗(親鸞聖人)の銅像(場所はここだったかは?ですが)があったようだ。
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大阪での仕事の後、ここへ寄ってみる。
当時の家から それ程遠くない所に市電が走っていた。今は路面には自動車が行き交い電車は地下に。当然!市電って何年前って言われそう。
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今は こんな感じ。
我が家の後は何処?
市電の停留所は「岡崎橋」と言ったことは確か。
幼稚園の跡地らしき場所から 左程の距離はない。
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この小学校は廃校になったことは知っていたが、その一角にあった幼稚園も当然ながら廃園になっている。
跡地には 阿波座センタービルが建っていた。
当時、大阪市西区には 16の小学校があったが現在は8校らしい。この辺りは業務ビルとマンションばかりだが 入居された人たちが高齢になり若い人と入れ替わり小学生が増えていると そこに住む友達は言う。
ここへも その友達が一緒に行ってくれたが その友とは母親同士が同じ小学校に通っていた。母を通じての友達ではない。「世間は狭い」判った時には驚いた!

d0330311_856163.jpgこのビルの前には薩摩堀公園があった。
この公園は1953年(昭和28年)に出来たらしいが公園内には皇紀2600年記念の「八紘一宇」の石碑があった。 戦前に地区内のどこかの公共空間に置かれていたものが、公園整備後に移されたのではないかと言われる。
薩摩堀は、江戸時代のはじめに豪商・薩摩屋仁兵衛が開削した堀川で、ここには薩摩からの船が出入りし、堀端には南国物産を扱う商家が並んでいたそうだ。
現在は全て埋め立てられているが堀川が巡らされ、船運が主体の町で四国との行き来が盛んだったとずっと以前講演会で聞いたように思う。

三菱商事、東京三菱銀行、日本郵船などの業務は西区から始まったそうで「三(みつ)」の字は大阪西区の3本の川に由来するようだ。
土佐堀、江戸堀、京町堀、阿波掘、薩摩堀、立売堀(いたちぼり“いたち”は伊達藩の読み替えとも)長堀、堀江、道頓堀など「堀」の付く地名がある。






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by souu-3 | 2016-08-01 10:39 | 大阪・京都

ジャカランダ

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今年も 来週火曜日から会の展覧会が大阪市立美術館で始まります。
2年前 近くの一心寺に咲くジャカランダを見に i さんに連れて行ってもらいました。
今年は花が密集して薄紫色が濃く見えるらしい。会期中に 姪と この一心寺へ行く約束をしました。
一週間ほど先になるので ちょっと盛りを過ぎるでしょうか?
この花は別名“青い桜”といわれ薄紫色の花が枝の先端にうっすらとヴェールを掛けたように咲く。
南米などの暖かい地方では街路樹などに植えられているらしいが 気候の変化が激しい日本の屋外では成育が非常に難しいらしい。
一心寺では三千佛堂から道路向かい側の塀沿いに3本、境内の日想殿入り口付近に1本あります。

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『ならシカ』

d0330311_6101054.jpg先日、大昔の写真を ここに載せた時、NHK ONLINE 奈良放送局のHPに」投稿したらと totteさんに教えてもらい 送信しました。
「載ってますよ!」と又また教えて下さった。
2016年06月09日 (木)に totteさんの新しい画像の次に昭和30年ごろの「シロちゃん」の画像が掲載されています。

検索すると「シロちゃん | ならシカ | ならシカ | NHK奈良放送局ブログ」出てきます。ビックリ!

1954年に産まれ1972年7月11日交通事故で命を落としました。
生涯、たった1度だけ子鹿を生みましたが16日目に交通事故で亡くしています。シロちゃんのお母さんは人間が捨てたゴミを食べて亡くなったようですし このシロちゃんはその容姿が奇妙に映ったのか警戒心を持たれ、仲間はずれだったようです。
その後、この鹿には別の友達と行った時にも逢っています。

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『こわくてゆかいな漢字』

d0330311_528410.jpg先日、紹介した張莉さんの著書「こわくてゆかいな漢字」が発売されました。

書店に予約しておいたら 早速、連絡がありました。
初めから順に読めば良いのに 気持ちが急くときは ついバラバラと見て興味のある部分を先に読んでしまいます。
最後に、というページに載っている「笑う門には福来る」を先に。
先日、若い弟子が雅号を決めるのに「笑」の字が好きだけど「咲」を入れた雅号にしたいと言い、私の雅号「爽雨」から 雨を入れ「咲雨」とすることになりました。
この本にもあるように「咲」は古くにはなく 初文(最初の字)は「笑」でした。巫女が両手を上げて舞い 楽しみ笑う形です。
「花が咲く」という表現は 咲くに口がついているから おそらく口元のほころびる様子を花の開くことに喩えたのでしょう。花が咲くことは花が笑うことだったのでは、と書かれています。
「神と人との世界は この笑いにおいて相接し 相楽しむのである」と白川先生は解説しています。とも書かれています。日本人の感性は素晴らしい、とも。
張莉さんは中国天津市生まれで 1996年に日本に留学された人ですが 日本人以上に日本の事を知り日本語が上手い!私の娘ほどの年齢ですが笑顔の素晴らしい人なのです。







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by souu-3 | 2016-06-10 06:31 | 大阪・京都

イノシシ

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先日、京都の某ホテルにて総会があり 珍しく時間に余裕があったので地下鉄を降りてブラブラ歩いていると菅原院天満宮神社があった。道真公が生れた地だという。
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菅原道真公だから ここには牛があった。

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暫く進むと護王神社があり ここは猪の神社。
京都に都を作ったといわれる和気清麻呂を祀る神社だ。
1枚目の写真は狛イノシシ!和気清麻呂公が都より宇佐へ向かう途中災害に遭われた際、猪がお護りしたという。
ここには鼻を撫でると幸せになる幸運の霊猪といわれる手水舎や願懸け猪、座立亥串などもある。
d0330311_1420351.jpgお札などには足腰を護るものが沢山あった。

その中に イノシシの起き上がりこぼし、起き上がり猪というか?
カワイイ!と
購入したが よ~~く考えて見ると
立ち上がってほしい人が周りに居る。
他人事でなく自分がしっかりしなければいけないが・・・

とある方への細やかなプレゼントに。
また、姉も頑張ってほしいので
プレゼント!

願いを込めて。








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by souu-3 | 2016-05-16 14:49 | 大阪・京都

真田丸 2

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大阪冬の陣から400年。戦場となった地には 鵲森之宮神社、玉造稲荷神社、三光神社などがある。

鵲森之宮神社

上古難波の杜と云った推古天皇の御代に難波の吉士磐金(きしいわかね)が新羅より還り鵲2羽を献上したことにより鵲の森と称した。
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鵲之渡瀬瑠橋迩置久霜乃 白気乎見者夜曾更仁来
(鵲の わたせる橋に 置く霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける・大伴家持)

年に一度 牽牛と織女の二星が逢う時 天の河にかささぎの群が 翼を広げ橋を架け織女を渡すという中国の故事によると、されている。

しかし、

神社の説明に寄れば この歌は七夕でなく冬の歌で 嘗て神社の東側に流れ込んでいた天野川にかかる鵲の橋を歌ったものだと書かれている。


玉造稲荷神社
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古代の大阪は 瀬戸内海の陥没地帯の東端だったので台地に住居は散在していた 4世紀ごろ上町台地にわが国最初の都城が築かれたという。
古代には勾玉を作っていたようで 地名もそのことに由来する。
この碑の「玉造」は後から貼ってあるが元々「府社」となっていた、旧制度の社格の一つで府から幣帛(へいはく)を供進した神社だった。社格が外れたので玉造稲荷神社となったそうだ。

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大坂城の玉造門(現・大阪市中央区玉造1丁目)が黒塗りの門であった事から、この門を別名黒門と呼び、江戸時代この黒門付近で作られ名産となった瓜の事を「玉造黒門しろうり」という。実は最も長く大きい、濃緑色で八~九条の白色の縦縞があり、糟漬けにしておいしかった事から浪花名産の一つとされた。

この神社内には「秋田實笑魂碑」がある。

漫才作家・秋田實をしのぶ碑で 「笑いを大切に。怒ってよくなるものは猫の背中の曲線だけ」と秋田實の言葉が刻まれ、もう一つの自然石の碑には秋田實の辞世の句 「渡り来て うき世の橋を 眺むれば さても危うく 過ぎしものかな」が刻まれている。

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秋田實は神社近くに生まれ子供の頃最も親しんだ遊び場だった。神社の夏祭にも楽しい思い出がいっぱい詰まっていたようだ。
玉造界隈は、その昔寄席があり、漫才師、芸能人が多く住んでいた。 昭和52年(1977年)10月秋田實が亡くなって、演芸評論家の吉田留三郎氏を中心にミヤコ蝶々、夢路いとし・喜味こいし、秋田Aスケ・Bスケといった上方漫才師の間で「秋田さんの記念碑を・・・」という機運が盛り上がった、秋田實にとって安住の地にちがいないという事から、玉造稲荷神社が選ばれた。
「上方芸能」で長く連載された秋田實の絶筆「オチの研究」に和多田勝が「オチの周辺」を加え『オチの表情』が刊行された。この日、この和多田勝さんの弟さんと本の話をしながら歩いた。この御兄弟は5代目松鶴の孫で 6代目笑福亭松鶴の甥にあたる。 お兄さんはTVなどにも出演されていたので私も覚えているが 1994年に亡くなっている。短い人生だったがきっと凝縮された一生だったのだろう。

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三光神社

大阪城東南の丘陵真田山に鎮座し昔は姫山神社と称したが、真田山の三光の名称の方がよく知られ今では三光神社となった。
境内には 真田丸(場所は5/1に)から大阪城へ続くといわれる 真田の抜け穴があり 脇には采配を振るう幸村の銅像が建っている。
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この抜け穴の中は 如何なっているのか覗いてみたが 真っ暗で何も見えなかった。
慶長19年(1614年)大坂冬の陣では 真田幸村は、手薄な城南へ徳川方が一斉に進攻する事を察知して、わずか一ヶ月余りで偃月城(真田丸)と呼ばれる砦を設け、大坂城から砦まで通じる地下の暗道(抜け穴)を作ったと言い伝えられている。鉄砲隊を配置した真田軍が大勝し、その勇名を轟かせた。
そして
大坂夏の陣、3度の突撃で、本陣の旗は倒され、多勢に無勢、真田軍は押し戻され、幸村も安居神社に落ち延び、この地で最後を迎えた。

      [おまけ]
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by souu-3 | 2016-05-07 05:46 | 大阪・京都

真田丸 1

メイストーム(温帯低気圧の急速な発達により大風が吹く現象)だそうで 網走では吹雪 
関西では月曜日には30℃近くになるという予報。
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庭の芍薬も咲き出した。

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この芍薬の根はひとつ。上にピンクの花、下に黄色が咲いている。
これは ピンクの木に黄色の花を接ぎ木したらしいが 元のものが元気よく伸び花が沢山咲き出した。こうなる前に摘蕾するべきだったのではないだろうか。
ピンクの花を咲かせるのが目的ではないのだから 黄色が立派に沢山咲く為には思い切った手入れが必要だろう。

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今年も大河ドラマの舞台を見学するKSS会(昔、勤めていた会社のOB会で関西史蹟散策会)が九度山には行けないが大阪の真田幸村 所縁の地を歩いた。

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「玉造・幸村ロード」には 戦国武将・真田幸村や真田十勇士のパネル人形、真田家の家紋「六文銭」が描かれた真っ赤なのぼり旗が狭い通りにずらりと並ぶ。

JR玉造駅西側にある日之出通商店街への抜け道に当たる100メートルほどの横丁には30軒近いお店が並ぶ。飲食店が多く、夜遅くまでにぎわう通りらしい。
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この辺りも このところ休日ともなれば歴史ファンで賑わうようになった、 近くには幸村が築いた大坂城の出城「真田丸」があったと伝わる。

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慶長19年(1614年)真田信繁(幸村)は真田山に出城「真田丸」をつくり、徳川の大軍を相手に勝利をおさめた。
元和8年(1622)4月、心眼寺は白牟(はくむ)和尚が「真田丸」があった場所に幸村・大助父子の冥福を祈るために堂宇を建立した。幸村鎧掛けの松の木もあったようだが、昭和20年(1945)の大阪大空襲により堂宇ともども焼失し、後にこの辺りを真田山と呼ばれるようになった。
当時、真田父子は幕府の直轄地であったため、お墓は建立されなかったが 幸村400年忌に墓碑をここに建立したと説明書に書かれている。

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真田丸の跡地は 大阪明星学園の敷地内であることが明らかになったので 今年1月に「真田丸顕彰碑が建てられた。
            =つづく=






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by souu-3 | 2016-05-01 00:58 | 大阪・京都

造幣局の通り抜け

躑躅やサツキも咲きだし初夏を思わせる日があるかと思えば また逆戻り。
そんな繰り返しをしている内に 辺りが萌黄色になってきた。

早いんじゃない!

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大阪・造幣局の通り抜けも 例年より早い。8日から始まった。

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大川沿いの桜も まだこんなに咲いている。いつもは ここの桜が散ってから通り抜けの八重桜は咲く。一度に見られるということもあってか 人人ひと・・・

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天満橋を通る人の多さに ここから引き返そうかと思ったほど人だらけ
いつもの事乍ら 序に足を延ばすだけで桜を愛でようと言う気持ちはない。こんな私には桜も歓迎しないだろう。

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今年の花は「ボタン」 牡丹のようにふっくらした淡紅色の大輪で、花弁数は15枚程あるようだ。
誰もが 今年の花を目当てに行く。この樹の前は 一層の人だかり。
d0330311_5522558.jpg今年は もう一つ 話題になっているのが 今まで名前が判らなかった花の名が判明した。
類嵐(たぐいあらし)と。
花弁は5枚というから 八重ではなく白色の一重のようだ。

それによって 品種は133品種となった。
ここには349本の桜がある。

実は この花を見るところまで辿り着けず途中で抜け出すことにした。依ってネットから写真はお借りしている。
この日、ここから地下鉄で3駅戻り 展覧会を見に行った。


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同じ会の中に 夫々の先生方がまた会を作っていて 展覧会を催す。自分たちが開催するときにも来てもらうので お互いに行く事になる。
まぁ これが付き合いということか?勿論手ぶらではいけない。交際費が・・・(/_;)
そしてお喋りをして。
この日は 古くからの馴染の先生だから大昔の話になった。60年も前の話。
そんなひと時を楽しみ 次の目的地へ行く。
未亡人となった姉の家へ。ここでもお喋りをして 一人と2匹の待つ家に帰宅したのは夕飯前。
1日が あっという間に過ぎていく。







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by souu-3 | 2016-04-11 06:19 | 大阪・京都

ダイヤモンドクロッシング

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鉄道ファンか大阪に馴染深い人以外には大して興味のない事かもしれない。

立体交差が当たり前のようになり平面交差は少なくなった。路面電車というのが極当たり前だった子供の頃、イヤ少々大人になってもあったが 現在でも大阪には阪堺電気軌道がある。
この路線のうち 天王寺ー住吉公園間の住吉交差点から公園駅までの0.2Kが廃止された。
と同時に恵美須町から堺の浜寺公園までの阪堺線と 天王寺・住吉公園間の上町線が交差するダイヤモンドクロッシングも廃止になるらしい。

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写真では切れてしまったが 平日 7:48 :57 の2本。土日 7:44 と8時台の3本しか通らないので日本一 終電の早い駅と言われていた。
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右から左へ書かれた駅名も旧字体で大正2年に開業した駅である。

私の姉が もう50年ほど前になるだろうか、この近くに住んでいたので度々この電車に乗った。
ちょっと嫌な想い出ではあるが この電車かバスで行く病院に入院していた父が そこで最期のときを迎えたこともあり 忘れられない地でもある。
この日、ここを訪れたのは友達が この交差点のすぐ近くに眠っていることもあり昨年末からお参りに行く予定がずれてしまったからでもある。
朝から阿倍野での審査の仕事を終え 住吉へこの電車に乗りお墓参りの後、写真を撮りに行き思いがけない人に出会ったりもした。その後 この沿線の学校の同窓会館での講演を聞きに行った。

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2013年から営業運転されている 堺トラム 
これはよく見かけるようになったが乗るのは初めて。停留所に入って来たので飛び乗った。
この後の講演会には ちょっと早過ぎ 近くを散策した。知らない所を歩くのは大好き!
思いがけず良い時間を過ごせた。

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我が家の節分

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例年と殆ど変らない節分。齢の数+1個の豆を食べ たった1尾しか買わない鰯、この頭を柊に差し玄関に。
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そして 鰯の身はすり身にしてお味噌汁の具に。恵方巻きは売っているもののような豪華版ではなくお新香と牛肉を甘辛く炊いて細巻に。至って質素な倹約料理だ。ここで節約出来たのは良いが こんな時、他で出費が嵩むことが よくある。
そうなりませんように<`ヘ´>
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by souu-3 | 2016-02-04 00:28 | 大阪・京都

暮れの京都

最近の京都は 大阪、奈良とは比べようもないほど賑わっている。
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おまけに南座の顔見世の千秋楽である26日、丁度夜の部が始まる前 劇場の前は身動きも儘ならないほどの人でごった返していた。

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少し東へ行くと祇園であるが 一力の辺りも車が中々動かないほど 道はイッパイである。

このころ、毎年の事ながら忘年会がある。少し早めに出かけ 年末の雑踏を楽しむ。が、これほどまでの混雑はなかったように思う。
翌27日は 知恩院さんの除夜の鐘試し撞きがある。
上手く その日になれば行けるのだが 1日、2日ヅレる。リンク先の年は2006年であるから もう9年にもなる。
何と月日は矢の如く過ぎていくのだろう。

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先斗町も
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錦も 混雑!混雑。

ここから忘年会の会場はすぐだが 人を掻き分けて進むと どの筋だったか?
錦市場から一筋南の四条通りへ出て 本屋さんの横を入り直す。
錦市場は今年で400年。暮れには つい、ここへ来てしまう。
今度のお正月は 娘も帰省しないので二人だけのお正月。元旦からスーパーも開店しているし三段重ねのお節は止めようと言いながら ボチボチ買い物をしてしまう。


今年は これでお終い。明年もよろしくお願い致します。

More~記録~
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by souu-3 | 2015-12-27 17:13 | 大阪・京都
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一瞬のきらめきを求めて


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