玉響記=たまゆらのき=

souu3.exblog.jp ブログトップ

カテゴリ:奈良( 127 )

須佐之男神社

d0330311_8381720.jpg

d0330311_84144100.jpg夕方になると 一風呂浴びて床几に座り団扇片手に雑談に花が咲く というのは昔の風景だろう。
年々、暑さが厳しくなり夜になっても温度は下がらず熱帯夜となり エアコンのお世話になる。
これが又、暑さを作る原因になっているのではないだろうか。

そんな時、日本各地で花火が上る。
立派な花火大会には 大勢の人が集まり 帰宅時の混雑が大変だと聞く。
8月の第1土曜日は 地元の商工会青年部が主催する「やまとの夏祭り」がある。花火は
500発と小規模であるが 花火の音に誘われて家からゾロゾロ出てくるご近所さんとお喋りを楽しみながら 遠くの生駒の花火も同時に楽しめる。生駒は700発でこちらが終わっても暫く上がっている。

d0330311_9271488.jpg

2,3日前、まだ暑さも少しは柔らかな午前5時 お散歩に出かける。
途中、朝日が昇りグングン気温は上昇してきたが 上三橋という村の外れにある「須佐之男神社」まで歩いてみる。目下夏休み中のウオーキングと同じ程度の歩数。

d0330311_9315366.jpg

スサノオは、素盞雄、須佐男、須佐之男、進雄とも書く。同じ名前の神社は至る所にある。この村から南へ行った番匠田中という村にも素盞嗚尊神社がある。祇園信仰の神社らしい。
スサノオといえば 天照大御神の弟神、須佐之男命で荒々しい神様であるが 『ヤマタノオロチ』を退治して得た草薙の剣で有名である。
この神社は ちょんがりの宮と呼ばれ、境内にその昔、超願寺という寺があり、須佐之男命は、「いつもまっこうくさい仏さまと一しょにいるのはつらい」というので、毎夜、前の池に大蛇に化けて水浴されるので、村人は気の毒に思って、超願寺の本尊を村の西にうつし、堂は奈良の高畑に移した。超願寺がなまって、ちょんがりの宮となった。と、言われている。

【追記】
この伝説と思われる話を地元に住む人と話していて この神社の横にある池は「蛇南坊」というと聞いた。その人も 池の名前は知っていたが「そういう事なのか」と驚かれていた。

d0330311_9323167.jpg


d0330311_9331151.jpg

鳥居をくぐって 灯籠が並んでいるが その中に紀元2601年というのがあった。
皇紀2600年は昭和15年だったようだが この時に作られた行進曲風の唱歌の最後の部分「♪・・・紀元2600年・・♪」の歌を思い出した。この年の事が記憶にある筈もないが何故か知っていた。
その翌年に建てられたものだろうか。
そして牛頭天皇宮と書かれたのもある。無知な私には何のことか判らず 帰宅して調べると素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)は、牛頭天王・スサノオを祭神とする。と、出てきた。
序ながら「嗚」の字は「鳴(口に鳥)」ではなく「嗚(口に烏)」らしい。
これらの神社は、江戸時代までは牛頭天王社と称され、牛頭天王を祭神としていた。総本社は京都の八坂神社または広峯神社だという。

d0330311_9335036.jpg

牛頭=ごず
ここで「牛」を「ご」と読む。「午」なら判るが・・・いや「牛蒡」は牛なんだ。
日本語は難しい。横線より出ているか出ていないか、長いか短いかで全く違った文字になることは結構あるが 出ても出なくても 同じ読み方をすることもあるのか?

賢くなったのか 頭が混乱しただけか?
まぁ 判らない事を調べている間だけでも暑さは忘れるから 「良い」事にしておこう。


d0330311_9341825.jpg8月のカレンダー
イチキシマヒメ
古事記では市寸島比売命、日本書紀では市杵嶋姫命と表記する。
アマテラスとスサノオが天真名井で行った誓約(アマテラスとスサノオの誓約)の際に、スサノオの剣から生まれた五男三女神(うち、三女神を宗像三女神という)の一柱である。
古事記では2番目に生まれた神で、別名が狭依毘売命(さよりびめのみこと)であり、宗像大社(福岡県宗像市)の中津宮に祀られているとしている。
後に弁財天と同一視されるようになった。
宗像の神は九州の海洋神で、船の安全を守る神様。イチキシマヒメという名前は「厳島神社」の「イツク」と同様に、元々は「神聖な」という意味の「斎く(イツク)」だろう思われる。「イチキシマ」という名前も、万葉集では「イツクシマ」と読んでいるものもある。
水の神で 水辺、島、池、泉など水に深い関係のある場所に祀られることが多く 奈良県では吉野の天川村の天河大弁財天に祀られているようだ。
[PR]
by souu-3 | 2015-08-03 10:56 | 奈良

義経

d0330311_9221599.jpg

今年も高砂芙蓉が咲き出した。
一日花ではあるが 今年はたくさん蕾が付いているので長く楽しめそうだ。

d0330311_9224991.jpg今年で10回目だというが 中々行く機会がない。
この時期、丁度展覧会中で申し込みも躊躇していたら 定員に達して締め切られた。
義経とゆかりのある大和郡山の地に、全国各地から義経・与一・弁慶・静にゆかりのある街が集い、歴史と伝承を新たな視点から掘り起こし、まちづくり・ひとづくりに生かしていくための気付きと新たなつながりを得るためのサミットだそうだ。
歌舞伎などで有名な「義経千本桜」に登場する源九郎狐。静御前を守ったことから武士の鑑とされ、吉野に祀られた佐藤忠信。しかし豊臣秀長の時代、土木工事の際にその祠が壊されたことに源九郎が激怒。源九郎の要求を受け入れて移築されたのが市内洞泉寺町の源九郎稲荷神社とされ、「義経千本桜」のいわばルーツがここにあると言われている。

洞泉寺町といえば 昔、遊郭があったことで有名であるが ここにはお寺と源九郎稲荷神社があることは 以前にも書いたように思うが、この神社には歌舞伎役者が 千本桜上演前にお詣りに来られる。

d0330311_923127.jpg
郵便局への用事を済ませ自転車屋へ修理に行き そのまま「と本」で珍しい本がないか見に行った。序に洞泉寺へ。

d0330311_9233514.jpgここには光明皇后勅願 垢かき湯船地蔵尊がある。
昔、郡山城主大納言秀長公と洞泉寺開山の宝誉上人とは、天正14年6月14日の夜卯の刻に同夜同じ夢を見られた。
夢に教えられた郡山城内の大書院の西庭の沓脱石を掘り起こすと、それはくつぬぎ石ではなく、りっぱな地蔵尊があった。秀長公は寺社奉行に命じて調べると 光明皇后御願の垢抓地蔵尊であった。
光明皇后は難病に苦しむ人々のために、大石に地蔵尊を浮き彫りにし、それを石の湯船の上に安置し、御頭から白湯を流し下し、御尊体を流通して、御足下から湯槽にはいるようになっていた。難病は、これを浴びて平癒しないものはなかったといわれている。のちに秀長公は、りっぱな地蔵堂をつくって祀った。と言われている。
奈良の法華寺の東にあった阿しゅく寺の沐浴の具は、後に般若寺のうしろの北山に移されたが この大きな石槽<いしぶね>は、天正年中、郡山城を造る時にそこへ運ばれたという。
お城の石は 色んな所から色々な石を集めたことが よ~く判る。

この街に住む人より 他所から来られる人の方が色んな事をご存知のようで ネットなどでの投稿をみると熱く燃える文章が伝わる。
[PR]
by souu-3 | 2015-07-22 10:04 | 奈良

郡山城外堀

d0330311_16215516.jpg前日、梅雨らしくたっぷりの雨が降っていたので この日は歩きに行けるとは思っていなかった。
買い物もままならず 冷蔵庫の中から夕飯も作ったほどで 翌日のお弁当の用意もしていなかった。
が、朝 目覚めると晴れている。冷凍庫の中から適当に解凍して朝から大忙し。

それでもメールやブログのチェックをしてラジオ体操、朝のウォーキングは半分だけ。お弁当と同じものを夫の昼食にして。リクの世話。
バタバタしたが 集合場所へは定刻前に到着。
皆さん 似たり寄ったり、バタバタとお弁当の用意をして来られたようだ。

この日は地元 大和郡山のお城の外堀を巡ることになっていた。
一周7km 外堀緑地が整備されて 何年になるのだろうか?この緑地はホンの一部分で実際の外堀の1割程度だと ボランティアガイドさんが言われたように思う。

d0330311_16572937.jpg

戦国時代末、筒井順慶が郡山城に拠り、その城下町が発達したが 順慶亡き後1585年に豊臣秀長が郡山城に入った、その時、大和・和泉・紀伊の三国、百万石を領有し、大和国の中心都市として栄えた。
郡山城の外堀は、文禄4年(1595)7月、郡山豊臣家断絶のあとを秀吉の五奉行の1人であった増田長盛が20万石で入部して、翌年から普請を開始し、東側は秋篠川の流れを東に向け佐保川と直結させ(奈良口の川違え)元の川を堀にして、西と南側は丘陵の断崖や溜池を巧みに利用し、北側は谷池に添う堀を巡らし、総延長50町13間(約5.5キロ)を殆ど素堀りで行い、内堀や中堀のように石垣を積む事なく仕上げ、掘削した土は堀の内側に盛って土塁とした。=ガイドさんの説明=

d0330311_178336.jpg
いつも通る所であるが この神社の中へも入ったことがなかった。
が、年末になると飾り物ではなく本物の伊勢海老や橙などしめ縄に付けられるそうだ。
橙は 黄色くなったものを そのまま置いておくと又緑になり そして黄色くなるそうで ダイダイというのだそうだ。
また、「正月の道」といい、神社から村の家へ砂の道を作り 隣へそれが続く、そして村中に繋がり、神様がそこを通られるという。1年無事に過ごすことが出来る慣わしらしい。
他の場所でもあった習慣らしいがアスファルトになった道に砂を撒くと自転車や単車がスリップするので止めた所が多いそうだが ここはずっと伝わっているらしい。
忘れなければ年末か年始に見に行ってみよう。

d0330311_17405368.jpg


堀の土を内側に土をもって「土手」を築いて松や竹を植えていたが このあたりには大きな松の木がそびえていて、「おどえの松」と呼ばれて遠くからの目印となっていた。
このように堀の内側に高く土盛をした土手を「お土居」と言い、現在は「お土居公園」として一部分が残されている。

d0330311_8575046.jpg
「矢田口から大織冠に通じる道に、忍術師が住んで似た。今もこのところを忍ぶ町とよばれている。
ある日、豊臣秀俊が蛇が池を見て、忍術師に、「この池から大蛇を出して見よ。」と命じたので、忍術師は一心に呪文をとなえると、空池がみるみるうちに満水し、たつみの隅から大蛇が飛び出し、秀俊を一のみしようとしたので、秀俊は驚き、大声をあげて城内に逃げかえった。そこで家来たちは、ふたたび大蛇の出ないように池底の穴を大石でおおった」と市のHPに書かれている。


こんな池へは行った事がなかった。





大和郡山というと「金魚池」と思われるだろう。
d0330311_17485571.jpg

市内には至る所にあるが この辺りは一望出来る。
しかし、池を潰してソーラーパネルが並んでいるところなども見かけるようになった。
また、何時の間にか埋められて住宅が建っていたりする。
知り合いの金魚屋さんも 止めてしまわれた方もある。

こうしてグルッと外堀を巡ると 車で行き来する人よりは よく目にしているとは思うけれど全く行った事もない横道まで歩け 40数年住んでいるのに知らない所があるのに些か驚いた。
「みちしるべの会」が建てた碑を一つずつ見て歩いたが 池や池跡、辻番所跡など新発見が多くあった。
新しい発見はガイドさんのお蔭だと思う。地元であっても こういう機会は有難い。
[PR]
by souu-3 | 2015-06-27 18:07 | 奈良

ムジークフェストなら

d0330311_2117042.jpg

ムジークフェストはドイツ語で音楽祭。
奈良でもレベルの高い音楽祭を開催し、上質な文化に親しむ機会を創出したいとの想いを込め、ドイツ語で「音楽祭」を意味する「ムジークフェスト」と命名され今年で4回目を迎えた。今後、奈良の年中行事としたいと ムジークフェストなら実行委員会と奈良県が主催、ドイツ連邦共和国総領事館、文化庁が後援、多くの企業等の協力に寄る催しである。
今年は130を超える会場で 300もの公演があり、期間中、奈良が音楽一色になる。

今回、2人の友達が誘って下さり16日薬師寺・慈恩殿、唐招提寺・僧坊で、17日東大寺総合文化センター・金鐘ホールで聴くことが出来た。
d0330311_21221594.jpg

慈恩殿は 2017年春に奉納される細川護熙元首相が制作する襖絵や壁画が飾られる予定になっている場所である。
d0330311_22111161.jpg

箏とチェロのハーモニーと題して 木村伶香能さんの箏と唄、玉木光さんのチェロ。ご夫婦での意気の合ったハーモニーを聴かせてもらった。

その後、唐招提寺では春~クラシックの調べにのせて~クラリネットの河野康幸さん、ヴァイオリンの岩渕晴子さん、ファゴットの奥山紀子さんの3人による演奏と楽しいお喋り。
d0330311_22141918.jpg

僧坊であるから 4本柱の中の広さは畳3枚分。天井も低く おまけに外は雨。薄暗い照明もない所で 如何なのかと思ったが 明るい河野さんのお話と「眼鏡をかけた蛇」の演奏は、本体を大きく4つに分割することができるのを上手く活かして、マウスピース、バレル、管体、ベルと段々外しての演奏と その話の内容が面白く楽しいものだった。

あまり音楽に詳しくなくクラシックをどの程度 理解出来るかと思っていたが とても身近に感じることが出来た。

翌、17日は東大寺・金鐘ホール。当初予定されていたバイオリン奏者・稲庭達(とおる)さんが4月に59歳でご逝去され お弟子さんである菊本恭子さんとピアノの島崎央子さんの演奏だった。
アンコールでは 先生のお得意だったアヴェ・マリアを二人で演奏。先生のことを思いながら涙を流しての音合わせだったと言われていた。
こうして忘れられない師匠であり続けられるようでありたいものだ。

この日も お天気は不安定だったが
d0330311_22451917.jpg

d0330311_22453859.jpg奈良は大賑わい。
このムジークフェストに来られた人で 超満員という訳ではないだろうけれど こんなに混雑するのは珍しいのではないだろうか。
観光バスも遠くのナンバーもありズラッと並んでいる。

この後、大雨になり、一服した店から出ることが出来なかった。
少々、遅くなったが最寄りの駅から自転車を走らせると 佐保川の水は増え川幅が広くなっていた。
スゴイ雨だったと 皆は言うけれど この日の雨は各地で豪雨だったようで この程度ではニュースにもならない。

今日は もうお出かけせず 急に壊れたプリンターを外して 新しいのを繋がなければ。
[PR]
by souu-3 | 2015-06-18 06:24 | 奈良

聖徳太子の愛犬

d0330311_17241269.jpg

d0330311_17243492.jpg先日、ゆきま~るというケーキを買ったことを載せた。
このモデルである聖徳太子の愛犬「雪丸」の像がある達磨寺へ。
「大和名所絵図」に描かれている(赤い矢印)雪丸
d0330311_19391882.jpg








聖徳太子が飢人を助け埋葬したという説話を創建由緒とする臨済宗南禅寺派の寺院で、飢人は達磨大師の化身とされ 達磨寺3号墳が達磨大師のお墓だと言われている。
ここに あの雪丸が「達磨大師のお墓の丑寅(北東)に葬って下さい」と遺言したと「達磨寺略記」にも記されているそうだ。

その雪丸は何犬なのだろうと このお寺に行ったのだが・・・
王寺の駅からの陸橋には雪丸のイラストや足跡が続く。
お寺には土日は説明をして下さるボランティアさんもいらっしゃるそうだが平日は人っ子ひとり居ず何犬か聞くことは出来なかった。帰途、町役所で聞いてみたが「問い合わせは よくあるのですが伝説ですから判りません」とのこと。雑種かもと 小声で言われたけれど結局日本犬なのか洋犬なのかも判らずだった。

が、このお寺には

d0330311_2051488.jpg

上記の 飢人(達磨大師)を埋葬したとされる古墳(達磨寺3号墳)の上に本堂が建立されているようだ。
そして、
片岡八郎公、片岡春利公の墓所と 戦国大名・松永久秀の墓所がある。
以前、UPした奈良坂の眉間寺山と呼ばれていた標高115メートル、比高30メートルの山に多聞城を築城し、信貴山城で自害した あの松永久秀のお墓(写真右)が(京都にも墓所はあるらしいが)こんな小さいのに些か驚いた。

古墳が3基ある。本堂の3号墳の他に
d0330311_21164956.jpgd0330311_2117993.jpg

左、1号墳は横穴式石室(全長5.8m)が東向きに開口。
右は2号墳。1号墳のすぐ南側にある円墳、

d0330311_21184193.jpg

《薬師石》 目を閉じて近寄り、両手で抱けば病気が全癒すると伝えられる石である。
寛政三年(1791)「大和名所図会」に見える当時の境内絵図にも、「やくし石」が描かれている。

愛犬だけでなく 重要文化財など数々の見ものがあった。
[PR]
by souu-3 | 2015-05-21 00:22 | 奈良

頭塔

d0330311_11394021.jpg
d0330311_1403894.jpg前回、記載した奈良の高畑町にある「頭塔」は 奈良時代、藤原広嗣のたたりで死んだ僧玄昉の頭を埋めたとの伝説があるらしいが 古文書には東大寺の僧・実忠が土塔を築いたと記録されているようだ。

← 春と秋の一般公開以外は現地管理人・仲村表具店へ前日までに申し込んで この入口の錠前を開けてもらって入る。

当初は東西南北の各面に11基ずつ、計44基設置されていたものと考えられているようで東・西・北面の石仏は復元整備後、屋根付きの壁龕に安置されているが、南面の石仏は土の上に直接置かれている。
五重塔などと同じように仏舎利を納める仏塔と考えられている。
そのうち、1基は郡山城の石垣に転用されたらしいが 郡山の住民は こういう多くの話を聞く度に肩身が狭い。(私の所為ではないが・・・)

d0330311_1140598.jpg

d0330311_15361615.jpg

↑ 南面はこのようになっている。

頭塔に関することを検索していると「私はこの頭塔さんのある高畑町で生まれ、この頭塔さんを遊び場所にしていました。もちろんその頃は頭塔がそんな歴史的に由緒ある場所であることなど知るよしもなく 山遊びや、格好の「かくれんぼ」の場所であつただけのことなのですが 荒れ放題であったような気がします。お年寄りが道脇の崖に寄りかかるような石仏にお花や線香を供えているのが、妙に気になったのを覚えています。
久しぶりに奈良に帰った時、整備されすぎていて、私の目には、「よそ行き」の頭塔さんで、何かよそよそしささえ感じる姿でした。」=抜粋させて戴いた失礼お許し下さい=と書かれていた。

d0330311_11431050.jpgd0330311_11432475.jpg

左は整備前、右は発掘調査されている頭塔。
石積が崩れた部分があったり、石仏がなくなっていたりと、欠けた部分が多かった頭塔は復原された、瓦の部分は復原されたのではなく石仏を直射日光や風雨から保護するため設置されたようだ。
南半分は現状保存されているが 北半分は発掘調査し、非常に美しく整備されている。

横道に逸れるが 現在、郡山城も危険防止の為 石垣を積み直しているが ここのように綺麗になり過ぎるのではないかと 前の文章を読みながら 昔の面影がなくなるのも寂しい気持になる。

d0330311_11441857.jpg

石仏の写真と拓本は同じではないが 展示されていた拓本も写真に収めてきた。



珍しいピラミッドのような頭塔であるが これに似たものが大阪・堺に大野寺土塔(おおのでらどとう)がある。
d0330311_11454944.jpg

こちらは行基さんによって大野寺が創建され、その際に土塔も築かれたとされている。
周辺から瓦の寄進者と思われる名前が刻まれたものが出土しているようで 階段状になった13重の塔である。

【追加】
d0330311_15191537.jpg

今日は母の日
荷物が届くと犬たちは「何?!なに」と開けるまで興味津々。
あ、食べられないのか!些かガッカリして その場を離れる。アイはママの匂いもない お店から直接送られてきたのだろうから興味なしだった。

More=今月のカレンダー=
[PR]
by souu-3 | 2015-05-10 06:37 | 奈良

みどりの日

d0330311_651324.jpg
ゴールデンウイーク真っ最中
みどりの日は平成元年から18年まで 4月29日だったが天長節、天皇誕生日、みどりの日、昭和の日と替わりゴールデンウイークの真ん中4日が国民の休日からみどりの日に替わった。
先月末は5週目でお稽古が休みになり、今週は祭日続きで 随分休みが続く。
貧乏性の私は こんな日々はあまり好きではない。
とは申せ 空いた日があれば それなりに埋まっていくものだ。

我が家の庭も「みどり」が濃くなってきた。本当は草ボウボウになってきた、と言う方が正解かもしれない。
「桃李成蹊」なんていうとカッコイイけれど 一応我々が通る所は草が剥げている、と言う方が正しいかもしれない。
「桃李不言 下自成蹊」史記・李将軍列伝・賛に依る有名な言葉である。書道の作品で何度書いたことか。
桃李ものを言わざれども、下自ら践を成す。
「桃や李は、口はきけないけれど、そのかぐわしい香りを認めて自然に人が集まってきて道が出来る」
人柄の良い人や、人徳のある人のもとには自然に人が集まってくる。桃や李の木の下に小道ができるように、気の合った友人が自然に通ってくるようになる。


ここにも大勢の人が集まってくる。
d0330311_9392982.jpg


憲法記念日の3日から 平城宮址で始まった「天平祭」

d0330311_9112493.jpg

初日は参加者402名の天平行列、4日はゆかり風流行列、鷹狩り、5日天平こども行列、
こどもの日の5日まで期間中、衛士隊の再現、大道芸、天平衣装体験、天平貴族散策、ものづくり、東市・西市、市の再現、各種ステージ、スタンプラリー、さくら茶会、歴史館でのVRシアターなどが催され賑やかな3日間である。

d0330311_912155.jpg
2010年の遷都祭を中心に その数年前から始まった これらの催しは今年で10回目と聞く。
遷都祭の時は 木簡体験などのお手伝いをさせてもらったが ここ3年ほどかと思う(忘れっぽくなったが)さくら茶会のお手伝いをさせてもらっている。

→ 3日間夫々の学校、社会人などの茶道部が日替わりに お茶席を催す。
その裏方でお茶碗を洗ったり お湯を沸かしたりするのがボランティアの担当だ。
奈良には茶筅、茶杓などを制作している。聖武天皇が愛した八重桜に因んで「さくら茶会」を開催し 伝統工芸を後世に伝えたいという目的もあるようだ。
若い人たちの着物姿は華やかで良い。
先生がさくら茶会に合わせて作られたと言う この帯、ステキ!こういうのが好きなんだけど 私は勿論、娘でさえ もう無理かもしれない。
人生振り返るのは好きではないが こんな齢に戻りたいとチョッピリ思ってしまった。

3日間お手伝い出来れば良いが 一日で歳を感じる。
朝、マイカーの自転車で国道に沿って出来た自転車道をひた走り 元気一杯に出かけたのに 午後には何だか疲れてきて コーヒーが切れるとダメなんだとサボる。

d0330311_1093688.jpg
東市に 挽きたての珈琲を その場で丁寧にたてている店があった。
ふと隣を見ると アップルパイが!
昼食後 左程時間も経っていないのに また・・・

ボランティアのTシャツを着て 一般の人と一緒の所に座るのは気が引ける。
大極殿の見えるベンチまで持って行って一服

何と美味しい事か!

至福の刻とは こんな時の事をいうのだろう。

帰りの自転車を漕ぐ余力と買い物が出来る時間が欲しいと 皆さんより少し早めに失礼させてもらった。
随分、勝手な老婆だ。
こんな時だけ老婆になる。


5月5日「こどもの日」
d0330311_921197.png

何かある日はGoogle のトップが替えられるが この日はこんな可愛いのだった。今日で休みはお終いかと思ったら もう1日、振替休日だって ?!

イギリスの王女誕生!
待ちに待った誕生だっただろうけれど 誕生されて9時間半で退院されたそうで シャーロット・エリザベス・ダイアナちゃん。私でも覚え易いお名前。おめでたい明るいニュースだ!

残りの休みは展覧会の作品書きと 小学校で頼まれた書道の準備などをしよう。
まぁ そう考えると連休も満更ではない。
[PR]
by souu-3 | 2015-05-05 00:05 | 奈良

かるた会

d0330311_9192720.jpg

先日から時々登場する「古事記かるた」
阿礼さまをお祀りする賣太神社でもかるた会を催すことになった。
読み札を担当された倉橋さんと絵札を担当された上村さんが このかるたが出来るまでの話をして下さり その後、輪読会のメンバーでカルタ取りをした。
d0330311_9243774.jpg3班に分かれ夫々のグループで札を取り合ったが 好きな札を そっと手前に置いたりして・・・
ちょっとズルかな?
「稗田阿礼と太安万侶 力合わせて古事記完成」という札は d0330311_9434876.jpg宮司さんと禰宜さんが取られ拍手喝采!
出雲出身の人は「大国主少名毘古那と国づくり」を。
「ときじくのかくの木の実は間に合わず」垂仁天皇の御陵と多遅摩毛理のことは この辺りの人は誰でも知っている。
「天皇のお召しを待って八十年」現代人は そんなには待てないよね~ 
「税とらぬ かまどに煙立つまでは」仁徳天皇は貧しい暮らしをしてかまどから煙も上っていないからと税をとらず 宮殿の修理もやめたなんて立派ねーなどと言いながら カルタ取りをする。

カルタは子供の遊びと思い勝ちだが 結構みんなで楽しんだ。
d0330311_11585647.jpg

優勝者には 倉橋さんから賞品の本が。10枚以上取れた者にもクリアファイルなどいただいた。
これ、実は私も10数枚。鹿の毛の写真が付いたファイル。

終わってからも お喋りに花が咲き 輪読会の中心人物であるテノール歌手・鈴木先生が 先日、福井の足羽神社で歌の奉納をされたとか。
d0330311_123489.jpg継体天皇の大きな像がある足羽山。
越前の治水事業を行ない、平野を開き諸産業を興されたが、越前から第26代天皇として即位された。
その時「末永くこの国の守り神とならん」と、自らの生き御霊を鎮めたという。
継体天皇の御陵は今城塚古墳だと言われている。埴輪が沢山並んだ所で 今 読んでいる新聞の小説に出てくる。行った事がある場面が出てくると中々面白く読めるものだ。

福井へ行ったのは何時頃だったのかと 古いブログを検索すると何度も出かけたのが出てきた。
この足羽山へも何度か足を運んでいる。何だか懐かしく あの頃は楽しかったとつくづく思う。行けなくなったとは申せ そんな経験が出来たのはラッキーだった。
今、地域の小学校から書道の授業をしてほしい(多分、公民館と子供たちの交流が目的ではないかと思うが)と依頼がある。久しぶりに少し当時のような事も織り交ぜて 公民館の人達と頑張って授業をしたいと思う。
[PR]
by souu-3 | 2015-04-25 13:34 | 奈良

天平祭近し!

d0330311_13233088.jpg

今朝もウォーキングで一日が始まった。快晴である。
白鷺が朝食用だろうか 川の中で魚を狙っている。その前で魚が跳ねたのに・・・ちょっと大き過ぎたのだろう。
場所を替えて 又狙っている。その恰好が可愛くって堤防の上から 暫し眺める。

次の日曜日は市議会議員の選挙だ。1日中大阪での仕事があるので今日済ませることにした。夫は当日の方が近い、市役所まで態々行かないという。 今回は一人で投票することにした。

d0330311_13292462.jpg

先日、咲き出したばかりのモッコウバラが満開になった。朝の光をたっぷり受けて。

チェックしたメールに「天平祭」のお知らせが入っていた。
d0330311_13313545.gif


天平行列の衣裳部会からで「現在、管理する天平衣装は1500人分。前身である平城遷都祭の頃から、少しずつ縫い上げた宝物です。新調もしますが、歴代スタッフに感謝し、修理しながら大事に使っています。ミシンが使えるだけでは天平衣装は作れません。縫いあがった衣装があるだけでは天平人は作れません。着付けは練習あるのみ、何度も講習します。ヘアーや小道具も毎年工夫を重ね、改良しています。」と書かれていた。

遷都祭ボランティアの説明会で ミシンを使えない人である私はこれには参加出来なかった。
皆さん 頑張って先日の古事記祭りでも着付けのお手伝いに来て下さっていた。

今年も「天平祭」は5月3日から5日。平城宮址で繰り広げられる。
d0330311_134537.jpg

d0330311_13451643.jpg

昨年同様 さくら茶会の看板書きと 3日の裏方のお手伝いだけ。
この看板も ボランティアの事務所で書いていたが 耐震構造になっていないそうで場所が移動し、昨年は猿沢池の近くで書いたが 今年は家で書いて持参することになった。
これまでは看板の大きさにカットしてもらった用紙に書けば良かったが それも準備することになり簡単に考えていたら そんな用紙は文房具屋などでは手に入らない。表具屋で裏打ち用の紙があることを思い出し頼んである。 次の日曜日 その表具屋で展覧会の審査などをするので序に持って帰ることにしてある。
それから書くことになる。
1週間しか準備期間がなくなった。衣裳部さんは頑張っているのに出遅れてしまった。
あの方たちも「無事に天平行列を送りだしてみせます!」と言われている。負けないように頑張ろう!
[PR]
by souu-3 | 2015-04-23 14:00 | 奈良

名残りの桜&古事記かるた会

d0330311_10522218.jpg
晴れた日、曇った日、雨の日もあったが 忘れず今年も桜が満開になった。
この後、暫く曇りや雨の予報と言われた4月2日 最後の花見かとリク、アイも一緒に近くの桜を見に行った。

リクもこの名残りの花が判るのだろうか。
ジッと眺めていた。

今年もあまり出かける事は出来なかったが思いがけない所で花見が出来たり まずまずの「春」だっただろうか。
これから花冷えの日もあるだろうけれど体調管理をしながら 暫し良い季節を楽しみたい。

やがて来る暑い夏に備えて。





去年の桜が満開になった時、季節ごとに 1本の樹を追いかけてみようと撮影し続けた。
その時、その時で 色んな気持ちで撮ったことが思い返される。
何より この1年元気で過ごせたことが嬉しい。



d0330311_11385458.jpg



d0330311_119561.png



4月24日(金)14時より
賣太神社で「古事記かるた会」開催!

古事記を朗唱した稗田阿礼を祀る大和郡山にある賣太神社で 奈良県が取り組む記紀万葉の一環として制作された古事記かるた」を使ってかるた会が催されることになった。

当日はこのカルタの文言の編集者・倉橋みどりさん、絵を描かれた上村恭子さんのトークとかるた会が催される。
[PR]
by souu-3 | 2015-04-03 11:32 | 奈良
line

一瞬のきらめきを求めて


by souu-3
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31