玉響記=たまゆらのき=

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カテゴリ:奈良( 127 )

鹿の舟

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奈良の観光案内所「ならまち振興館」がリニューアルし複合施設「鹿の舟」に生まれ変わった。
d0330311_17165660.jpg11月19日にオープンしたが12月17日にはカフェもオープンするというので それからで良いと思っていたがリクのカテーテルなどがなくなり奈良町近くの獣医さんへ行く序に寄ってみた。

この日は真っ青な空には雲一つなく晴れ渡って歩くのには良い日和だ。

カフェは目下工事中であるが「囀(さえずり)」といい喫茶室と雑貨店で、前には田んぼや畑、和のハーブ園などが出来る。
食事処は「竈(かまど)」と言って 薪で炊いたごはんを定食で食すことが出来る。

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この竈で炊いたご飯はお代りもOKらしいが 流石に美味しい。
奈良の伝統野菜が付く。
これらを購入することが出来るコーナーもあり 室生の食パンが美味しいから是非食べてみてと店員さんに言われ購入。確かに胡桃の入った食パンはサクサクして美味だった。

そして「繭」
観光案内所がある この部分は大正時代に建てられた邸宅を改装したそうだが 現在、蔵を改装された展示室では、「鹿の舟」のロゴマークをデザインされた望月通陽さんの作品展が開催されている。

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「繭(まゆ)」には読書室があり奈良の名品・白雪ふきんのかやが吊されていて、繭の中に居るような感覚で ゆっくり読書出来るようになっている。
奈良の歴史や言い伝え、郷土料理などに分けて展示され興味のある本も沢山並んでいた。 座れる場所が作られているので時間があれば ずっとここに居たい、そんな気持ちにさせる居心地の良さがある。
昔ながらの生活文化を体験できるワークショップも開催されるようだ。

d0330311_19182328.jpgこの近辺には称念寺、高林寺、井上神社、崇道天皇社、璉珹寺(1枚目の写真)などがある。
その璉珹(れんじょう)寺で「おまもり展」が開催されているというので覗きに行った。
5回目というが23名が参加されている。昨年は13名だったから 随分盛況なのだろう。
上村恭子さんが出品されているのとアート書道ってどんな作品かな?と思ったので出かけた。
今回はテーマが「星」だそうだ。

12月8日の朝 ↓ More にリンク

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by souu-3 | 2015-12-07 20:02 | 奈良

唐招提寺・御影堂

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この連休中の予定は何もなかったが やっぱり近場だけど連日お出かけ。
何時ものようにお買い物の足を ちょっと延ばしただけ。自転車で15分も走れば唐招提寺に到着。

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京都の観光客程ではないが ここもいつもの静けさはなく賑わっている。

境内の北側に位置する土塀に囲まれた御影堂は 例年、鑑真和上の命日(6月6日)にちなんで一般公開されるが、老朽化が激しく、5年程度をかけて調査や修理を行うので、坐像や東山魁夷作品を新宝蔵に移すため 当分、見ることが出来なくなる。

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御影堂は 元、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和38年(1964)移築復元した。
d0330311_1061532.jpg現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められている。
鑑真和上は、聖武天皇の招きに応え授戒の師として来日することになったが、難航海のため到着するまでに12年間の歳月を要した。
奈良の都に着いた時は両目を失明していた。鑑真和上が戒律の道場として、759年に創建したのが唐招提寺である。
国宝・鑑真和上坐像(脱活乾漆造、彩色、像高80.1cm)は、763年和上の死を予感した弟子の忍基らによって彫られたと伝わる。

和上の前でお焼香する人が並び ゆっくり襖絵を拝見しながら順番を待った。

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=和上と襖絵の画像は入場の時に貰った絵葉書=
d0330311_10153117.jpg東山魁夷は71年から約12年かけてふすま絵「濤聲」(とうせい)や障壁画「山雲」(さんうん)など6作品を描き、同寺に奉納した。
「濤聲」和上が出発した中国の海岸から始まり、荒々しい大海原を渡り、ようやく到達した日本の海岸の景色を描いた16面
「山雲 」日本の風土の象徴として山と海を群青、緑青の岩絵の具で描いた10面
「黄山暁雲」中国の壮大な風景を墨一色で描いた8面
「揚州薫風」和上の故郷・揚州の柳の薫りが風にのって流れてる絵26面
「桂林月宵」和上ゆかりの地・桂林の風景8面

庭には東山魁夷画伯の書による「山雲濤聲」の碑があった。
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by souu-3 | 2015-11-24 06:44 | 奈良

東大寺東塔院址

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三連休の初日、唐招提寺では御影堂の修理を控えて一般公開が23日まで、大仏殿東塔院発掘調査の説明会が 21日だけというのでどちらに行こうか、朝から思案していた。
結局、大仏殿へ。(写真は鏡池に写る大仏殿鴟尾)
最近はごった返す大仏殿周辺。人を掻き分け東塔院址へ直行したら 3度目くらいの説明だったが意外に人が少ない。行列覚悟でオムスビまで持参したのに・・・
d0330311_6245547.jpg今回の調査で鎌倉時代の基壇が確認された。
国内最大級という約27m四方、高さ1.7m以上と考えられる塔基壇址が確認され 奈良時代の基壇の上に盛土を加え 一回り大きくしていることが判った。盛土には焼土が混じっており そこに含まれる瓦は全て奈良時代のものらしい。
柱間寸法は中央間20尺(約6m)両脇間18尺(約5.4m)
東塔は高さ70〜100メートルの巨大な七重塔だったのではないかと言われる。
北側と東側に階段跡、周囲に玉石敷きが残っていた。奈良時代の基壇は約24mと鎌倉時代の塔より小さく建物の構造も異なっていた可能性があるようだが 西塔で確認されている23.8mと似ている。
塔を囲む回廊は鎌倉時代のものと鎌倉時代と粗、同じと考えられている。

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発掘現場 全体。↑
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右、写真の左上部分は奈良時代のもので 鎌倉時代に再建された部分との違いを見ることが出来る。

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説明者の後辺りが 塔の中心部分。

今後、また新しいことも判るだろうけれど 冬になると凍るので一旦、埋め戻すそうだ。
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by souu-3 | 2015-11-22 08:13 | 奈良

伎芸天さん!こんにちは

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夕べまで降りつづいた雨が秋篠寺の苔を一段と艶やかにしていた。
そんな日、久しぶりに伎芸天さんに逢いに行った。
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お変わりなく静かに迎えて下さった。d0330311_17524362.jpg
弟子たちを始め みんなが元気で上達出来るようにお願いをし、
柱にもたれて優しいお顔を じっと眺めていた。
こうしていると心が洗われるような気がする。 

正面から見つめ、左から眺め、写真などでお馴染みの右から眺め、もう一度正面から見たり。
おおらかで優しいと言われる右側からより 何故か左側のお顔が好きだ。

だから 柱の傍から見る。

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11月も半ば、いやもう下旬といわれる頃だ。
落ち葉も真っ赤になっている。

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真っ赤な木々も美しいが 山茶花も美しく誇らしげに咲いている。

暑過ぎず 寒過ぎない良い時期だ。アッと言う間に過ぎ去るのだろう。
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by souu-3 | 2015-11-19 19:01 | 奈良

郡山城石垣整備工事

d0330311_1049919.jpg平成29年3月末の完成を目指して郡山城天守台展望施設整備事業が進められている。
現在、石垣が膨らむなど崩壊の恐れがある北西面の一部を解体し、破損部分を組み直す工事を実施中である。400年前の石垣を可能な限り残すため、解体は最小限にとどめる方針で、解体面積は石垣全体の13%になるようだ。昨年5月、6月と 9月にも説明会があったことは既に記載済みである(夫々にリンクあり)。d0330311_1124572.jpg
石垣の表面にある大きな石(築石)の解体数は236個。石垣を支える四隅の石は特に重要で、北西角に積んであった石(角石)は最大2・8トンあった。
郡山城は大和・紀伊・和泉の3ヶ国に河内国の一部を加え、約110余万石の大名だった豊臣秀吉の弟、秀長が居城とした。
明智光秀や藤堂高虎らが普請に携わり、筒井順慶や秀長らの主導によって改修された。
奈良は良質な石材が乏しかったため、奈良一帯の各戸に五郎太石の提供を義務付け、寺院の石地蔵や墓石、仏塔なども徴発され石垣石として使用された。中には、平城京羅城門のものであるといわれる礎石が使われていたり、8世紀ごろの仏教遺跡である 頭塔の石仏が石垣の中から見つかっている。

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今回の解体でも 左写真の矢印辺りから 右のお地蔵様が出てきたそうだ。(このお地蔵さまは痛みが酷く元の所には埋めないということだった)

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こうして割れた物は取り除かれ同じような形に作られた石と交換される。割れていても接着剤で補修出来るものは元の通りに積むそうで それらには黄色いテープが張られていた。

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築石、裏込め(栗石・砂利層)、盛土の三層から成っている。角部分は直方体の石を使い長い面と短い面を交互に積む算木積みの手法で積まれている。盛土部分が層になっているのは 下から順に積み上げたために出来たものだとのことだった。

また、今回は石を割る実演があった。
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ノミで矢穴をあけ 矢を差し込み水をかけて矢の頭をかけやでたたく。これが中々難しいのか時間が掛かった。 石が割れた時は回りから拍手が沸いた。

この日は裏込め石に想いを書く事も出来た。
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「平和のシンボル金魚が泳ぐ城下町」
「再生祈願 400年後の〇〇〇」
「御先祖様に感謝」
「無限」
などと書いた人もいるが
私は・・・
事前に書くことは判っていたのに 中々良い言葉は浮かばなかった。
今度、修理が必要になる?400年後の人々が こんな人が居たのだと思ってほしい。
なんて考えると短い文章に纏める難しさを痛感した。
でも、遠くへ行かなくっても ここで楽しい生活が出来る今、幸せだと思っている。それはここに住んでいるから。そんな思いをつづった。

これらの裏込め石は多分、大きく解体された北西辺りの中へ入れられるだろうということだった。
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by souu-3 | 2015-11-16 00:10 | 奈良

栗名月

25日、近畿地方でも木枯らし1号が吹き いよいよ冬の到来である。
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その日、大阪の高校で同窓生による若山牧水と李白の話を、卒業生ではないのに聞きに行って 久しぶりに逢った友とハロウィンのケーキを食べながらお喋り。
翌朝、
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東の空に 輝く2つの星。星が煌めく日は寒い。
奈良の最低気温は6℃台だったと思うが 今年は9月から涼しくなり冬の到来も早いように感じる。
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スーパームーンと騒がれた中秋の名月から1カ月。10月25日(旧暦9月13日)は十三夜「栗名月」だった。
閏8月や閏9月が入る年は、十五夜や十三夜が2回設定されるため、2度目の十五夜は「後の十五夜」、2度目の十三夜は「後の十三夜」と呼ばれる。この十三夜は満月に少し足りない。十三夜は日本独自のもので それを好む日本人らしい行事だといわれる。
また、十三夜はこれから満ちて行く月なので、縁起が良いという見方もあるようだ。
季節的には、稲作の収穫を終える地域も多く、収穫祭の意味合いもあり、栗と豆の収穫時期であることからも「栗名月」「豆名月」ともいわれる。
今年の奈良は25日はよく晴れていたが26日の夜は雲が掛かっていた。翌朝、西の山に隠れる月は真っ赤で美しかった。

そんな日、春日大社の御造替を祝して鈴木哲也先生の奉納音舞台に 賣太神社輪読会のメンバーも参加した。
まず、全員で ご本殿正式参拝
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ご本殿に向かって 歌の奉納。参拝の後
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お神酒をいただく。

その後、感謝・共生の館で 奉納が開始された。
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歌、琴、オカリナなどのあと、「建御雷神(たけみかずちのかみ)と国譲り」の朗唱。
そして、「天翔る白鳥倭健命魂魄(こんぱく)の賦」
鈴木先生の歌と 藤本真喜子さんの語りによる歌物語で 輪読会とNPO法人・この花桜会の皆さんで、大和にいたヤマトタケルの妻達と子供達は、皆、大和から下ってヤマトタケルが亡くなった場所に作った墓の周囲の田んぼを這い回って、悲しんで歌ったという歌、 「なずきの田の」
小さい竹の生えた中を進むのは、竹が腰にまとわりついて進みにくい。空は飛べず、足でゆくしかない 腰(こし)なづむ 空は行かず 足よ行くなと歌われた 「浅小竹原(あさじのはら)」
また、白鳥を追って、海に入った時に、海が行けば 腰なづむ 大河原の 植え草 海がは いさよふと歌われた。海の中を進むのは、歩きにくい。まるで、大きな河に生えている水草のように、海では足を取られて、ゆらゆらすると謳われた 「海処行けば(うみがゆけば)」
白鳥が磯伝いに飛び立たれた時、浜つ千鳥(ちどり) 浜よは行かず 磯づたふ。浜千鳥のように、あなたは陸の上を飛ばないで 磯づたいに飛んで行かれるのですね。という 「浜つ千鳥」の4曲を歌った。

この日は、鈴木先生が作曲されたものを歌ったが ヤマトタケルのお葬式で歌われた歌で、今でも天皇のお葬式で歌われているそうだ。

この白鳥は 能煩野を飛び立ってから、河内の国の志幾(しき・大阪府柏原市付近)に留まったとされる。そこで、その地にもお墓を造って、ヤマトタケルの霊(れい)を鎮(しず)められた。このお墓を「白鳥(しらとり)の御陵(ごりょう)」という。が、この大白鳥は、その地からさらに天に翔上がり、どこかの地へと飛んで行かれた。
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by souu-3 | 2015-10-26 21:12 | 奈良

奈良町資料館

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この連休、私も人並みに お稽古もなく4連休だったが何も予定していなかった。
が、お葬式があったり ブログで知った情報などチョコッとしたことながら毎日出かけていた。
奈良町資料館で芸術祭が開催されていた。
古事記かるたでお馴染みの上村さんたちが展覧会をしていることが判り 情報収集をしていると 以前、陶芸を習っていた時 ご教授いただいた豆川先生も作品展示されていることを知った。同時に拝見出来る滅多にないチャンスだ。
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上村さんの作品は古事記の黄泉の国・伊邪那美が描かれていた。
実は「展示中の伊邪那美の屏風の裏面への展示替えをいたしました。六曲金屏風ですが、180度反転しての展示となり裏面を四曲屏風として展示しています。」って六曲が四曲って如何なっているのだろうと思い この目で確かめたくなった。
d0330311_21541611.jpg「後ろの壁面に小さな鏡を掛けていますので、見る角度によっては 金屏風側に微笑む国産み・神産みの伊耶那美と奥田表具店さんが大変立派で美しくよみがえらせて下さいました。
表面の金屏風の伊邪那美がチラリと鏡でうかがえるのは奥田表具店さんの粋な工夫です」とFacebookに書かれていた。

如何いう仕掛けなのか と興味があった。
六曲屏風とは「く」の字型が連続して蛇腹状に折り曲げて畳める屏風の形式で二曲は二枚、六曲は六枚が蝶番で繋がったものであるから 裏返すと四曲になる不思議と思ったが両端二枚は絵がなく折りたたまれていた。
鏡に写る伊耶那美の顔が美しい。

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習っていた先生とは申せ豆川先生の大きな作品を見た記憶がない。しかも20年近くお逢いしていなかった。が、お変わりなくお元気で活躍されているようだった。

この日も奈良町は賑わっていた。

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町家を改装したお店で くずきりを戴き暫し一服。
思いがけない時間を過ごすことが出来た。

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わが市では こんな運動をしている。
奈良をリニアが通るかどうか判らないが 駅が出来るようにという事だが 何年先の事?
私は この世に居るのか?居たとしてもリニアに乗れるだろうか?
無理だろうなぁ!                   最初の写真は庚申さんの身代わり申
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by souu-3 | 2015-09-25 22:51 | 奈良

古墳

d0330311_1540021.jpg奈良に住んで一番気に入っていること
それは広ーーい空が見える事
今日は誰かが箒でサ~~ッとひと掃きしたのかな
真っ青な空に絵を描こうとしたのかなぁ
こんな日は 何処かへ行こう

お買い物と称して 自転車を走らせる

朝、Facebookで薬師寺の西塔が見える場所に
曼珠沙華が群生している、と
唐招提寺の南らしい

家の周りの草引きをしている人に聞いたが・・・
知らない!?という

コスモスにカメラを向けている人に聞いた
「私も探しているのです」

もう少し北へ走ると
あった!

東塔の覆い 早く取れるといいなぁ

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先日、友達のお母様が亡くなられた。
初めての場所なのでネットで検索すると 二上山がよーく見える所で すぐ近くに狐井城山古墳というのがあるらしい。d0330311_1602769.jpg
そういえば 先日、日本には古墳が16万以上もあり その内約4万7千カ所が関西2府4県にあるとテレビで放映されていた。数が一番多いのは兵庫県らしい。千葉、鳥取、福岡、京都の順に多く、個人の敷地内にあるものが大半だと言うから驚きだ。
但し 大型古墳のベスト30の内27までが奈良、大阪らしい。
大阪では百舌鳥・古市古墳群の世界遺産登録を目指している。

d0330311_1771735.jpg城山古墳というのは ネットによれば「全長約150㍍の前方後円墳で、墳丘は、中世に城郭として利用されたため、改変を受けているが、前方部が大きく開く形態で、築造年代を6世紀前半代に位置づけることができる。盾型の周壕と幅広の外堤をめぐらしている。」と書かれている。
また、近くには、「恵心僧都(えしんそうず)誕生霊地」の石碑が建っていた。山門まで参道が続いているようだったが お葬式の前の少しの時間歩いただけなので そこまでは行けなかった。
この山門右手に観音堂があり石造の如意輪観音像が祀られているようだ。
このお寺は阿日寺といい ぽっくり寺だという。
ぽっくり寺といえば斑鳩の吉田寺だけかと思っていたが 知らない所を歩くと色んなものが見つかる。

お葬式に行って不謹慎だったかな?
久しぶりに ご自宅での盛大な葬儀だった。
会葬者も多く大忙しだっただろうに 夜、電話を掛けてくれた友は91才とは申せ お元気だったお母様に朝食を知らせに行った時には変わった様子もなかったのに2度目に行くと亡くなっていたという。随分驚いたのは言うまでもないが 大往生だったのではないだろうか。ご冥福をお祈りします。
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by souu-3 | 2015-09-22 17:51 | 奈良

三代目桂花團治襲名披露&国勢調査

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去る5月2日 船乗り込みの船と一緒に桂花團治さんが賣太神社へ来られてから4ヵ月余り 大和郡山での襲名披露が催された。

左から全国金魚すくい選手権大会の司会を21年間続けているタージンさん、小春團治さん、花團治さん、福團治さん、露の都さん
口上では タージンさんがお喋りしている間だけ撮影OKということであった。
襲名されたご本人は この間、ずっと頭を下げている。ジッとしているのも意外に大変だろうと思うが落語家は正座出来なくなると務まらないなぁなんて思いながら見ていた。

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ホール入り口には幟が並べられ 開場前から大勢の人が待っていた。

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開幕前、市長の挨拶があった。落語の街、池田と語り部の里、大和郡山が繋がったことを話された。
三川社中(箏曲)による演奏から始まり、落語四席、口上、囃子座、そしてトリは桂花團治さんの落語と続いた。
枕で各方面への襲名の挨拶の話があった。
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お盆に ご挨拶状、扇子と手ぬぐいをのせ、袱紗を掛けて持って行く。(写真は花團治さんのブログから借りる)受け取った人は ここへ紙包みを入れて返してくれる。
だから、上方落語家らしい冗談ではあるが「楽屋ではこれを請求書とよんでいる」と。
そういえば この方の手ぬぐいは戴いている。お祝いはしなかったけれど良いのかな?以前にも文我さんの手ぬぐいも戴いていた。
昔は こういうことは平民の間でもあった。ご近所で結婚されたり、赤ちゃんが誕生するとお餅などを持って挨拶に来られる。と、そのお盆には何がしかのキンス(金子)を包んでお返しした。
だから、結婚が決まるとお盆と袱紗は用意し 婚礼荷物の一つとして持って行った。最近はこのような習慣も殆どされないのでタンスの中でねむっているが。

盛りだくさんの襲名披露公演も無事終了した。

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10日から ネットでの国勢調査が始まった。
係りの人が 朝からIDとパスワードを書いた用紙を持ってきて下さった。

d0330311_10201480.jpg始まるまでに 2度程アクセスしていたが 早速、入力した。
仕事をしていると少し解答欄が多いようだが 夫は老人、私は主婦ということで(少しの時間で儲けもない仕事はあるが 主婦という事にした)書き進むと 何と簡単なんだろう。
あっと言う間にお終い。

何だか頼りない程だった。

最後にアンケートがあり 次もネットでやるかとの問いには・・・
ちょっと考えてしまった。
生きているのか?
今は簡単に出来るがPCを使えない状態になっているかも?
??
まぁ 出来る事にしておこう。

なんて調子だった。
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by souu-3 | 2015-09-12 10:53 | 奈良

燕の塒入り

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真っ赤な太陽が西に沈む頃、平城宮跡では朝堂院跡でツバメが多数行き交う、塒(ねぐら)上 旋回。
ヨシ原全域、道の際のヨシまで塒入りする。3万羽とも4万羽とも言われる燕が塒入りする様は壮観である。



ツバメは春から夏に人家の軒先などで子育てをする。 子育てを終えた親ツバメや巣立ったあとのツバメは、他の仲間と一緒に河川敷のヨシ原などに集まり「ねぐら」をつくるようになるが 平城宮跡の大極殿西側の池には ヨシが生い茂り そこにツバメの塒がある。
朝、ネグラ立ちをし夕やみ迫る頃、ネグラ入りする。その様子を動画にした。 ↑

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この日、8月15日は奈良の大文字送り火の日である。春日山、原始林、高円山と並ぶ青垣の山々は ここでも何度も紹介しているが その高円山で点火される。
京都の大文字より1日早く 戦没者慰霊と世界平和を祈る祭典で、 奈良公園・飛火野では奈良県出身の29,243柱の英霊を供養するため神式と仏式の両方が続けて行なわれる慰霊祭である。
「大」の字は宇宙を意味するといわれており、「大」を形作る火床の数は、人間の煩悩と同じく108。 「大」の大きさは、第一画目が109m,第二画目が164m,第三画目が128mで、日本最大級の大きさである。 午後8時に点火され、市内各所から、いや、大和郡山である我が家からも眺めることが出来る。

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燕の塒入りの後、点火まで少々時間があったので 大極殿から朱雀門近くへ移動した。
お昼間、通れる近鉄電車の踏切は通行出来なくなっているので 少し回り道をしなければならないが 朱雀門と大文字を同時に撮影出来るスポットには早くからカメラをスタンバイした人が多くみられる。

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小さなカメラ持参では 到底 無理ではある。ちょっと不自然になったが合成してみた。
気持ちは こんなだろうか?
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by souu-3 | 2015-08-16 08:26 | 奈良
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一瞬のきらめきを求めて


by souu-3
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