玉響記=たまゆらのき=

souu3.exblog.jp ブログトップ

22年前

d0330311_5552042.jpg


あれから22年。
あの時は まだベットの中に居た。大きな揺れに飛び起きた。阪神淡路大震災だ!
今のリク・アイではなくパピ・ジョアン・ヤン(猫)と娘もまだ家にいた。
地震の時はドアを開けておく、そんなことが頭を過ぎった。揺れる中 玄関のドアを開けに降りることは出来た。「そんな所へ行ったら危ない!」娘が叫んだのを覚えている。玄関は吹き抜けになっているので頭の上に吊るしたシャンデリアが大きく揺れていた。
随分、長い揺れだった。

揺れが収まりTVをつけると各地の震度が出た。
が、神戸の情報が届かないと。
震源地は明石辺りらしい。

姫路の姪は大丈夫だろうか?
その時点では電話も通じた。大丈夫だと、怖かったね~~ お互いの無事が確認出来 姉たちにも連絡は出来た。
連絡しなかった下の姪は 当時、マンションの9階に住んでいてエレベーターは動かない、揺れも大きかったらしい。相当、怖い思いをしたらしい。その後、すぐ引っ越した。

当時も朝のウォーキングをしていたが 見合わせることにした。
が、時間が経って 歩けるかな?と友達と歩き出して暫くすると「ゴーーー」と地鳴りと共に又揺れ出した。
大急ぎで引き返した。
そんな日が 2日  3日と。
TVは被害を映し出す。

ジッとしていられず 私たちに出来ることがあるかもしれない。
「歩く」こと以外には取り柄もないけれど 出かけよう。
友と二人 当時はお互いの夫も22才若かった。留守を託して阪急電車が西宮北口まで動いている。
川を渡った辺りから 潰れたマンションに車が圧し潰されている。被害の凄さが見えるようになってきた。
北口から歩いて市役所まで行った。
ここもヒビが一杯入った階段を上り ボランティアが集まるようになっていた。
「届け物を出来る人」「炊き出しを出来る人」「公民館へ行って救援物資を運べる人」呼び出されると出来るかと思う人が前へ出る。
我々は数人の人と 春風公民館という所へ行った。
体育館には避難している人でイッパイだった。その頃には自衛隊の大きな自動車で色んな物が運ばれてきた。その荷物を降ろし仕分けをする。
役所の人か 音頭を取る人の指示に従って それらの物を渡したり傾いた家に残っている人もあり それらの家々にも台車で運んだ。
「怪我をしているから〇〇が欲しい」とか これは如何すれば良いのかなど尋ねられたことを聞きに戻ったり・・・
何しろ今より22才若かった。姪とは21才違いであるが今の あの子くらいの年齢だったんだなぁ
私の方が元気だったような気がする。

その後、何度か出かけたが 壊れた線路を直し復興に頑張る人を見ていると 不謹慎かもしれないが蟻んこが壊された巣を修復しているような気がした。みんな必死だったように思う。
持って行ったおにぎりを食べながら 地震の時単車に乗っていて飛ばされたという人の話も聞いた。震度7ともなると、それも高速道路やビルの倒れたのを見ると本当に大変な地震だったのだと思う。
この22年の間には大きな地震も東日本や熊本、台風や水害も こんなに起こるのかと思うほど起こっている。
「災害は忘れたころにやってくる」嘘!何も忘れてはいない。

その後 ボランティアには何度か。お水を運んだり 壊れた家の片づけなどにも行った。

必ず起こると言われている南海地震。その時私は何歳になるのだろう?立ち直れるだろうか?






[PR]
by souu-3 | 2017-01-17 05:46 | 関西
line

一瞬のきらめきを求めて


by souu-3
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31