人気ブログランキング | 話題のタグを見る

玉響記=たまゆらのき=

souu3.exblog.jp ブログトップ

ミラーボーラー光のインスタレーション

ミラーボーラー光のインスタレーション_d0330311_05203872.jpg
十五夜の宴や光明真言土砂加持供養が奈良の西大寺で行われるのに併せて 1952年の映画「大仏様と子供たち」が上映されるというお誘いをいただいた。
ミラーボーラー光のインスタレーション_d0330311_05210754.jpg
西大寺は創建当初は、平城京右京1条3・4坊に位置し、東西11町・南北7町、総計31町歩(約48ヘクタール)という広大な境域だった(HPより)が現在の寺域は約1万坪弱とは申せ大茶盛や豆まきの時に行っただけで ホンの入り口程度しか知らず 今回映画を上映された興生殿は奥まった場所だった。
ミラーボーラー光のインスタレーション_d0330311_05205266.jpg
到着した時、ミラーボーラーは こんな感じだったが・・・
ミラーボーラー光のインスタレーション_d0330311_05204532.jpg
映画終了後は 真っ暗な中に 美しく輝いていた。
ミラーボーラー光のインスタレーション_d0330311_05205724.jpg
ミラーボーラー光のインスタレーション_d0330311_05210236.jpg
映画「大仏さまと子供たち」は
戦災をまぬがれて残る古仏・古美術の美しさを味うために、それと子供たちの交流が中心に描かれたセミ・ドキュメンタリー作品。

戦災をうけなかった奈良に集って来た浮浪児のうち、豊太と源治とは奈良にある各寺院の案内人の説明を覚えて、観光客の多いときには案内人の手伝いをして生活していた。
現在とは違った当時の風景がモノクロではあるが興味深く記録に留めたい素晴らしい映画だった。
当時は奈良の住民ではなかったので 詳しいことは判らないが自然のままで哀愁さえ感じる。
登場人物のひとり落選彫刻家といわれる人が、東京に戻ることになり、「今夜の大和で東京へ」という場面があった。夜行の急行「大和」は、1950年から東京~湊町間に運行されていた。私も これに乗って東京へ行ったことがある。
あの日、羽田沖で飛行機の墜落事故があった。事故機の上を飛び立ち 札幌雪祭りに行ったことが蘇る。







by souu-3 | 2016-10-04 06:11 | 奈良
line

一瞬のきらめきを求めて


by souu-3
line
クリエイティビティを刺激するポータル homepage.excite
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31