玉響記=たまゆらのき=

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お水取りと入江泰吉

d0330311_1626272.jpg今年は新芽も早く 花々の開花も早いように思うが 奈良では馬酔木もこんなに咲き出した。

この時期、修二会も本行が始まる前、奈良の街は何となく慌ただしくなってきたように思う。
27日は椿の造花を枝に指したり、紙衣の上に重衣という墨染めの衣を初めて着る「衣の祝儀」などがおこなわれ、夕刻ほら貝の吹きあわせ 夜は声明の練習がある。

もうすぐ 戒壇院の別火坊から本行の行われる二月堂に移動する練行衆は忙しいことだろう。

こんな日、入江泰吉旧居では「東大寺お水取りー春を待つ祈りと懺悔の法会」の著者・佐藤道子先生の講演があった。

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入江泰吉氏が修二会の写真を撮られていた昭和20年代から20年ほど経った昭和43年から取材を始め、当時女性には無理だと言われた事、入江氏とは幼馴染だった観音院(上司海雲)さんとのこと、今も玄関に掛けられている表札は観音院さんが書かれたものであること。

入江氏はお一人で撮影されることが多かったそうだが 佐藤氏自身が2年目から許可を得て 2月末に別火坊から二月堂へ移動される練行衆を撮りたいと前へ出たため 入江氏の助手さんと喧嘩した事、などを85才とは思えない張りのあるお声で立ったまま1時間お話になった。
海雲師が参籠される時は、本気の厳しいお籠りだったので、周りの聴聞者も緊張したそうだ、入江先生は海雲師が参籠される時だけ撮影にこられるようになったそうだが 
5・7・12・14日の数取懺悔の最後の祈りは聞かないと伺った意義がないと話されていた。
半世紀を経ても1年に1度の行事であるから仕残したことがある。書き残すことが大事なのではないかとも言われていた。誰かが何かをしなければ、という言葉が印象的だった。

最初の頃は30代だったが現在のような防寒着もない時代、絹の袷に簡単に着ることが出来るように付け帯姿で 2週間乾パンで過ごしたそうだ。

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終了後、
隣のそば処で昼食を取っていると 佐藤先生と司会をされた倉橋さんたちが来られた。


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旧居の床の間に 入江泰吉氏揮毫のお軸が掛けられていた
蘇東坡が 廬山の恵林寺において、照覚常総禅師に与えられた無情説法(山川草木など情のないものの説法を聞くこと)を詠んだ詩
「渓声便是広長舌  
 山色無非清浄身 
 夜来八万四千偈 
 他日如何挙似人」
  の一部を「山色清浄身」と書かれたもので 落款印には朱文印で「大和」その下に白文印で「泰吉」と。




この日の話に合わせての事だろうか?

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こんな食卓が展示されていた。
昭和廿二年師走念五 杉田大工造之  観音院 海雲

「爾后(これ?)一千年 重美か国宝疑なきものなり」などと書かれている。

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次の展覧会に日本書紀から書こうと 本を調べていたが 古事記では海幸山幸にあるが 少し違いがある。
「阿軻娜磨廼(あかたまの) 比訶利播阿利登(ひかりはありと) 比鄧播伊珮耐(ひとはいへど) 企弭我譽贈比志(きみがよそひし) 多輔妬勾阿利計利(たふとくありけり)」

赤玉の 光はありと 人は言えど 君が装し 貴くありけり

=赤玉は、それを貫く緒までも光りますが、白玉のような貴方のお姿は それ以上に尊いものです=

漢字ばかりで書くと上のような字数になるが 漢字仮名混じりでは こんなに短い。









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by souu-3 | 2016-02-28 00:57 | 雑記
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一瞬のきらめきを求めて


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