玉響記=たまゆらのき=

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唐招提寺・御影堂

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この連休中の予定は何もなかったが やっぱり近場だけど連日お出かけ。
何時ものようにお買い物の足を ちょっと延ばしただけ。自転車で15分も走れば唐招提寺に到着。

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京都の観光客程ではないが ここもいつもの静けさはなく賑わっている。

境内の北側に位置する土塀に囲まれた御影堂は 例年、鑑真和上の命日(6月6日)にちなんで一般公開されるが、老朽化が激しく、5年程度をかけて調査や修理を行うので、坐像や東山魁夷作品を新宝蔵に移すため 当分、見ることが出来なくなる。

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御影堂は 元、興福寺の別当坊だった一乗院宸殿の遺構で明治以降は県庁や奈良地方裁判所の庁舎として使われたものを昭和38年(1964)移築復元した。
d0330311_1061532.jpg現在は、鑑真和上坐像(国宝)が奉安されており、昭和46年から57年にかけて東山魁夷画伯が描かれた、鑑真和上坐像厨子扉絵、ふすま絵、障壁画が収められている。
鑑真和上は、聖武天皇の招きに応え授戒の師として来日することになったが、難航海のため到着するまでに12年間の歳月を要した。
奈良の都に着いた時は両目を失明していた。鑑真和上が戒律の道場として、759年に創建したのが唐招提寺である。
国宝・鑑真和上坐像(脱活乾漆造、彩色、像高80.1cm)は、763年和上の死を予感した弟子の忍基らによって彫られたと伝わる。

和上の前でお焼香する人が並び ゆっくり襖絵を拝見しながら順番を待った。

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=和上と襖絵の画像は入場の時に貰った絵葉書=
d0330311_10153117.jpg東山魁夷は71年から約12年かけてふすま絵「濤聲」(とうせい)や障壁画「山雲」(さんうん)など6作品を描き、同寺に奉納した。
「濤聲」和上が出発した中国の海岸から始まり、荒々しい大海原を渡り、ようやく到達した日本の海岸の景色を描いた16面
「山雲 」日本の風土の象徴として山と海を群青、緑青の岩絵の具で描いた10面
「黄山暁雲」中国の壮大な風景を墨一色で描いた8面
「揚州薫風」和上の故郷・揚州の柳の薫りが風にのって流れてる絵26面
「桂林月宵」和上ゆかりの地・桂林の風景8面

庭には東山魁夷画伯の書による「山雲濤聲」の碑があった。
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by souu-3 | 2015-11-24 06:44 | 奈良
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