玉響記=たまゆらのき=

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栗名月

25日、近畿地方でも木枯らし1号が吹き いよいよ冬の到来である。
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その日、大阪の高校で同窓生による若山牧水と李白の話を、卒業生ではないのに聞きに行って 久しぶりに逢った友とハロウィンのケーキを食べながらお喋り。
翌朝、
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東の空に 輝く2つの星。星が煌めく日は寒い。
奈良の最低気温は6℃台だったと思うが 今年は9月から涼しくなり冬の到来も早いように感じる。
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スーパームーンと騒がれた中秋の名月から1カ月。10月25日(旧暦9月13日)は十三夜「栗名月」だった。
閏8月や閏9月が入る年は、十五夜や十三夜が2回設定されるため、2度目の十五夜は「後の十五夜」、2度目の十三夜は「後の十三夜」と呼ばれる。この十三夜は満月に少し足りない。十三夜は日本独自のもので それを好む日本人らしい行事だといわれる。
また、十三夜はこれから満ちて行く月なので、縁起が良いという見方もあるようだ。
季節的には、稲作の収穫を終える地域も多く、収穫祭の意味合いもあり、栗と豆の収穫時期であることからも「栗名月」「豆名月」ともいわれる。
今年の奈良は25日はよく晴れていたが26日の夜は雲が掛かっていた。翌朝、西の山に隠れる月は真っ赤で美しかった。

そんな日、春日大社の御造替を祝して鈴木哲也先生の奉納音舞台に 賣太神社輪読会のメンバーも参加した。
まず、全員で ご本殿正式参拝
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ご本殿に向かって 歌の奉納。参拝の後
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お神酒をいただく。

その後、感謝・共生の館で 奉納が開始された。
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歌、琴、オカリナなどのあと、「建御雷神(たけみかずちのかみ)と国譲り」の朗唱。
そして、「天翔る白鳥倭健命魂魄(こんぱく)の賦」
鈴木先生の歌と 藤本真喜子さんの語りによる歌物語で 輪読会とNPO法人・この花桜会の皆さんで、大和にいたヤマトタケルの妻達と子供達は、皆、大和から下ってヤマトタケルが亡くなった場所に作った墓の周囲の田んぼを這い回って、悲しんで歌ったという歌、 「なずきの田の」
小さい竹の生えた中を進むのは、竹が腰にまとわりついて進みにくい。空は飛べず、足でゆくしかない 腰(こし)なづむ 空は行かず 足よ行くなと歌われた 「浅小竹原(あさじのはら)」
また、白鳥を追って、海に入った時に、海が行けば 腰なづむ 大河原の 植え草 海がは いさよふと歌われた。海の中を進むのは、歩きにくい。まるで、大きな河に生えている水草のように、海では足を取られて、ゆらゆらすると謳われた 「海処行けば(うみがゆけば)」
白鳥が磯伝いに飛び立たれた時、浜つ千鳥(ちどり) 浜よは行かず 磯づたふ。浜千鳥のように、あなたは陸の上を飛ばないで 磯づたいに飛んで行かれるのですね。という 「浜つ千鳥」の4曲を歌った。

この日は、鈴木先生が作曲されたものを歌ったが ヤマトタケルのお葬式で歌われた歌で、今でも天皇のお葬式で歌われているそうだ。

この白鳥は 能煩野を飛び立ってから、河内の国の志幾(しき・大阪府柏原市付近)に留まったとされる。そこで、その地にもお墓を造って、ヤマトタケルの霊(れい)を鎮(しず)められた。このお墓を「白鳥(しらとり)の御陵(ごりょう)」という。が、この大白鳥は、その地からさらに天に翔上がり、どこかの地へと飛んで行かれた。
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by souu-3 | 2015-10-26 21:12 | 奈良
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