玉響記=たまゆらのき=

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義経

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今年も高砂芙蓉が咲き出した。
一日花ではあるが 今年はたくさん蕾が付いているので長く楽しめそうだ。

d0330311_9224991.jpg今年で10回目だというが 中々行く機会がない。
この時期、丁度展覧会中で申し込みも躊躇していたら 定員に達して締め切られた。
義経とゆかりのある大和郡山の地に、全国各地から義経・与一・弁慶・静にゆかりのある街が集い、歴史と伝承を新たな視点から掘り起こし、まちづくり・ひとづくりに生かしていくための気付きと新たなつながりを得るためのサミットだそうだ。
歌舞伎などで有名な「義経千本桜」に登場する源九郎狐。静御前を守ったことから武士の鑑とされ、吉野に祀られた佐藤忠信。しかし豊臣秀長の時代、土木工事の際にその祠が壊されたことに源九郎が激怒。源九郎の要求を受け入れて移築されたのが市内洞泉寺町の源九郎稲荷神社とされ、「義経千本桜」のいわばルーツがここにあると言われている。

洞泉寺町といえば 昔、遊郭があったことで有名であるが ここにはお寺と源九郎稲荷神社があることは 以前にも書いたように思うが、この神社には歌舞伎役者が 千本桜上演前にお詣りに来られる。

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郵便局への用事を済ませ自転車屋へ修理に行き そのまま「と本」で珍しい本がないか見に行った。序に洞泉寺へ。

d0330311_9233514.jpgここには光明皇后勅願 垢かき湯船地蔵尊がある。
昔、郡山城主大納言秀長公と洞泉寺開山の宝誉上人とは、天正14年6月14日の夜卯の刻に同夜同じ夢を見られた。
夢に教えられた郡山城内の大書院の西庭の沓脱石を掘り起こすと、それはくつぬぎ石ではなく、りっぱな地蔵尊があった。秀長公は寺社奉行に命じて調べると 光明皇后御願の垢抓地蔵尊であった。
光明皇后は難病に苦しむ人々のために、大石に地蔵尊を浮き彫りにし、それを石の湯船の上に安置し、御頭から白湯を流し下し、御尊体を流通して、御足下から湯槽にはいるようになっていた。難病は、これを浴びて平癒しないものはなかったといわれている。のちに秀長公は、りっぱな地蔵堂をつくって祀った。と言われている。
奈良の法華寺の東にあった阿しゅく寺の沐浴の具は、後に般若寺のうしろの北山に移されたが この大きな石槽<いしぶね>は、天正年中、郡山城を造る時にそこへ運ばれたという。
お城の石は 色んな所から色々な石を集めたことが よ~く判る。

この街に住む人より 他所から来られる人の方が色んな事をご存知のようで ネットなどでの投稿をみると熱く燃える文章が伝わる。
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by souu-3 | 2015-07-22 10:04 | 奈良
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一瞬のきらめきを求めて


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