玉響記=たまゆらのき=

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平野という街

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台風11号が熱帯低気圧になった土曜日の午後。JR大和路線は朝から動いていたが 大阪環状線が午前中運休になっていた為 遅れが出ていた。途中から色んな線が環状線に入り また出て行くのは便利なようで こんな時は不便である。
そんな日、夏の展覧会の作品を平野という所まで持参することになっていた。
台風で行けないかもしれないので作品は事前に送っておいたのだが。

d0330311_8535784.jpgこの場所は年に1回しか行かないとは申せ 何度も行っている場所である。
にもかかわらず何筋目を曲がれば良いのか・・・?
ウロウロしていると益々判らなくなる。 これ以上行くと行き過ぎとは判るが携帯で聞くことになる。「何処へ行けば良い?」なんてボケた老人だ。

この平野と言う所は70年前の大阪大空襲を逃れ古い町並みの面影が現在も残っている。
ということは、道幅も狭く住宅も密集して目印が少ない。お寺は非常に多いように思うが 電話でお寺の名前を言っても 余程知った人でないと判り難いらしい。

結局、目印のお寺でジッとしているように言われ迎えに来てもらった。
ヤレヤレ!
手数のかかること!

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大阪の東南に位置する平野は、大阪市内のどこよりも古く形成された町である。 東に大和、南に紀泉をひかえ、平安時代より交通の要衝として発展した。 戦国時代には 町の安全と自治をまもるため集落の周りを二重の堀と土居でめぐらし外敵の侵入を防いだ これが「環濠自治都市・平野郷」の成立である。とネットには載っていた。
中世より、近世にかけて各地と交易した平野商人の活躍は、朱印船によって海外に雄飛する大商人を生み出した。 また在郷町として綿、とくに繰綿の産地として全国に名をはせた。江戸期に完成した碁盤目の町割りや、夏祭りなどの伝統行事の数々も生活の中に定着し、大都市大阪の中にあって今なお 歴史が息ずく風土と景観をのこしている。とも出ていた。

随分、以前になるが この街歩きをしたことがあった。
上の写真は大念仏寺であるが ひと際目立つ大きなお寺だ。
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中に こんな珍しいものがあった。ネパールから贈られた「マニ車」経車である。
この中にはお経が入れられていて回すと お経を1巻唱えるのと同じ功徳があるらしい。

d0330311_925196.jpgまた、ちょっと隅っこではあったが筆塚があった。あまり存じ上げないが間 介浦先生25回忌の記念として「筆一本に生命托して 我生きたり」を刻した「筆塚」建立したようだ。

このお寺には 色々あったが 平野の街は「平野町ぐるみ博物館」と称して1993年から取り組んでいるミニ博物館運動がある。博物館といっても、施設や展示物を整備することを目的とするのではなく、運営者と訪問者とのコミュニケーションを通して、住民自身が楽しみながら地域を再発見しようとする試みで文化財に恵まれた平野を「町そのものが博物館」と評したことに因んで付けられたそうだ。
「へっついさん」ってご存知だろうか?
こういう物を展示した博物館などが並ぶ街でもある。但し、年中無休ではなく中には月に数回とか週に何日だけ開館していたりして フラッと行くと締まっていたりすることもある。

古くって面白い街でもある。

これで夏の展覧会の準備は一歩進み、秋のグループ展の案内状を皆さんに発送。心積りをしてもらい私もまた次へ動き出さねばならない。

こんな毎年の繰り返しが続けられるのは幸せなこと。 急にストップしなければならない時はいつか来るのだろうけれど それまで頑張りたい。
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by souu-3 | 2015-07-19 11:14 | 書道
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一瞬のきらめきを求めて


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