玉響記=たまゆらのき=

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20年前の朝

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20年前、今よりは起床時間が遅かった。
5時46分 大きな揺れに一家全員が飛び起きた。

20年後の この時間 空には三日月が出ていた。
あの日はもっと寒かった。
TVの前で黙祷をしたが何故か胸がいっぱいになった。

その時、「出入り口を確保する」私の頭をよぎったのは そのことだった。勝手口と玄関まで ヨロヨロしながら辿り着き鍵を開けた。玄関の上は吹き抜けになっていて吊り下げた電燈が大きく揺れる。
「お母さん!そんな所にいると危ない!」娘は叫んだ。未だ揺れている。長ーーい!こんなに長く揺れたのも強く揺れるのも初めて。
TVをつけると 奈良は震度4 今思えばそれほどでもなかったのかもしれない。納戸の中の物がずり落ちた程度で被害もない。
神戸辺りの情報がない。
暫くして薄っすらと夜が明けてきたが 外は静まり返っている。みんな如何しているのだろう。
あれから ずっとTVをつけっぱなしにしている。少しずつ情報が流れだし 神戸が・・・明石が・・・淡路島が・・・
姫路に居る姪は 如何なっている?電話は通じない。
尼崎の友達、神戸の友達、気になる所へは連絡を入れるが 混乱しているらしい。

毎朝のウォーキングは ちょっと時間をズラして行く事にした。少し歩いた所で ゴーーッと地鳴りだろうか?「オカシイね!」
グラグラ!っと余震が来た。地面が波打っているようだ。
急いで帰宅した。

その日は近くで新年会の約束があった。国道沿いのお店だったが 国道の車は大渋滞。殆ど動いていないようだった。
こんな日も予定を止めないなんてヘンだったかも。

その後、刻々と恐ろしい情報が入ってくるようになった。
何もしないでTVを見ているだけでは申し訳ない。ウォーキングの友と阪急電車が西宮北口まで動き出した3日目か4日目だったと思うが 歩くこと以外に能はないかもしれないが何か手伝えないだろうかと行ける所まで行く事にした。

駅から市役所まで国道2号線を歩いた。マンションのガラスが道路に広がって落ちている。渋滞した道路を救急車が走り 怪我をした人が腫れあがった顔に絆創膏を貼ってトボトボと歩いている。
決して物見遊山に来たわけではない!
西宮市役所はヒビの入った壁、階段を上るのも恐ろしかったが ボランティアを集めた部屋へ行った。「〇〇を出来る人」と言われ これならと思う人は手を揚げて説明を聞く。私たちは春風公民館へ救援物資の荷下ろしや 被災者へ配る お手伝いをさせてもらうことになった。
公民館に避難している人ばかりでなく自宅に居る方へも持っていった。中には怪我をしているから「薬が欲しい」などと言われると 戻って届けたり連絡などもした。
その日は帰れないかもしれないと家には連絡してあったが 夕食後は翌朝まで用事もあまりなさそうだったので 阪神電車の甲子園まで歩いて帰宅することが出来た。

その後、数回ボランティアに出かけた。
                    【つづく】


[追加]
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d0330311_17425143.jpg今日は1日中 テレビもこのことばかりだった。
配られてきた夕刊は1面から12面に渡り 大きな写真が載っている。こんな扱いは初めてのような気がする。
天皇、皇后両陛下は追悼式典にご出席になられた。皇太子ご一家も東宮御所で冥福を祈り黙祷された、と新聞に載っていた。

20年前の新聞は残してあるが 17日の夕刊では死者203名だったが刻々と増える記事に辛かったのを思い出す。当事者でなくても辛いのに残された人たちの気持ちは如何ばかりかと思う。

この日、残された人々の辛い経験話がたくさん放映された。
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by souu-3 | 2015-01-17 05:46 | 雑記
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一瞬のきらめきを求めて


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