番条のお大師さん
集落の回りを濠で囲んだ環濠集落は大和には200以上もあったのではと言われるが 室町時代に今の形になったらしい環濠集落が我が家から程近くに稗田、若槻、番条がある。
その番条では 大洪水やコレラが流行り 村人が申し合わせて弘法大師(真言宗)を信仰することになった。 江戸時代88軒の家があり各戸が西国88カ所の札所に相当する厨子を持って、各家の平等な参加による88ヶ所詣りが始まったのではないかと言われている。
毎年4月21日の「お大師さん」と呼ばれる春祭りに、厨子を各家の門に出し、飾り付けをして御供えをする。集落を一周すれば 88カ所巡りができるということで、信仰の厚い方々が今も毎年訪れる。この日も背中に「南無大師遍照金剛」と書かれた白装束で回っていた人がいらっしゃった。このような巡礼のミニチュアは、江戸時代は文化・文政の頃に始まったものとされている。
弘法大師を祀る大師堂には 当時の住職が書いた「由来書」に ある寺で本尊像を貰って帰り 庵を作って奉納し日夜信仰し始めたのがはじまりだろうと書かれているようだ。
番条は 中世には番条荘とよばれ大乗院方の興福寺衆徒であった番条氏の本拠地だった。当時、筒井一党に責められ 番条荘の郷民が濠に落ちたということから 15世紀半ばには環濠集落があったと思われる。
この日は 各家のお供えのお餅(蓬餅と白い餅)を戴いて帰る。補充する各家の人は忙しそうだ。
この村には 酒造会社があり何度か行った事はあるが 特に知り合いも住んでいないこともあり行く機会は少ない。
この催しは毎年、TVや新聞で報道されるが いつも終わってから気が付く。
村の南西には藪大師が祀られている。文化3年(1806)弘法大師の恩に報いるため建立されたようだ。
こうした行事を守っている村へ嫁ぐには大変だろう。
周辺に住みながら 新興住宅の住民は何と気楽なんだろうと思う。
by souu-3
| 2014-04-21 16:50
| 奈良