玉響記=たまゆらのき=

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下ツ道を行く 3

田原本から夫々の自宅を目指して2回目のウォーク
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田原本の町役場の前には 鍵遺跡からの出土品をイメージしたもののモニュメントが展示されている。

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鏡作坐天照御魂神社(かがみつくりにますあまてるみたまじんじゃ)
ここでは親切な方が「案内しましょう」と自転車を止めて神社の中へ入らせて下さった。

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赤い鳥居をくぐり進むと社殿、拝殿、その後ろには垣に囲まれた三棟の本殿がある。

己の魂が宿るものとして最も崇敬した鏡類を製作鋳造することを業としていた鏡作部が、この地一体に住居し、御鏡(天照国照彦火明命)並びに遠祖(石凝姥命)を氏神として開いた神社である


← 大きなエノキには寄生木が見える。
寄生木はエノキ・ケヤキ・クリなどの樹上に寄生するもので枝は丸く緑色で,叉状に分枝して全体球形に茂る。

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首切り地蔵
この地に美人で親の手助けをし、ひたすら仕事と学ぶことを楽しんでいたユキさんという娘がいた。年頃になり嫁に欲しいと言う若者が多かったが色よい返事をしなかったので 月の夜ユキさんを殺そうと寝ている時、首をめがけて鉈(なた)を振り下ろそうとした。すると石の地蔵さんの首が落ちていた。
そのお地蔵さんだという。

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安養寺
寛永10年(1633)に創立され源蓮社宝譽上人が開山した。
大きな赤い提灯には「献燈」と書かれている。上の方に「献」その下の字が火ヘンは判るが旁が草書体で判り難い。

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d0330311_194161.jpg今里橋 大和川船運の寺川筋の船着場「今里の浜」
鉄道交通が発達するまで大阪と大和の物資交易を行うための物資の荷揚げ場だった所のようだ。

下ツ道の通りの中でも 田原本町はカラー舗装をし鍵遺跡などの表示板が道路に埋め込まれている。
道の端の方には この今里の浜を行き来する舟のイメージを描かれたものも埋め込まれ 判り易くなっている。
この絵柄は町役場に問い合わせると 今里の浜との返答であったが 唐子・鍵遺跡の書物に同じ絵があった。
橿原市、田原本町、天理市、大和郡山市と続く下ツ道の中でも 立派な町役場やこうした表示板など整っているのは田原本ではないだろうか。近くに住んでいても全く判らなかったが 歩いてみて初めて気が付いた。


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大和川と布留川の合流地点まで来ると 天理市である。

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二階堂の由来になったらしい 二階堂地蔵
聖徳太子の妻・膳夫姫(かしわてひめ)が養母の菩提の為に建立した膳夫寺の跡地に建てられたお堂で そのお寺が二階造りに似ていたため「二階堂」と名付けられたという。

天理はホンの一部分しか通らないが 間もなく大和郡山市である。

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嫁取り橋
花嫁が通ると大蛇にとられてしまうという伝説が残る。
恋をした18歳のこまのは 池に映る姿を本物と間違えて落ち命を落とした。こまのは大蛇と化し 若い女性への嫉妬のあまり この橋を通る花嫁行列を襲ったという。

段々、見慣れた景色になってきた。
進むほどに 地元の学校が見え、東の山も西の山も家から見るのと変わらなくなってくる。

この日は稗田の環濠集落まで。
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4人の元若者は無事到着!


この続きは毎日歩いている道へと

【続く】
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by souu-3 | 2014-01-22 20:30 | 奈良
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一瞬のきらめきを求めて


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