玉響記=たまゆらのき=

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三本の矢

予期しなかったことだが 昨年、偶然見つけた矢田坐久志玉比古神社(去年の記事へリンクあり)へ1年後の同じ日に行くことになった。

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とても長い名前の神社であるが「ヤタニ(イ)マスクシタマヒコジンジャ」と読み、祭神は櫛玉饒速日命とその妃神の御炊屋姫命。
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こちらの方が思い出して頂けるだろうか?
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これで 如何だろうか?
航空の神様という方が判るだろうか。
d0330311_654434.jpg今回はガイドさんの説明付きで歩いた。

← このように書かれているようだ。

その上には源田実氏の書額「航空祖神」が掛けられている。
源田実氏は自衛隊の初代航空総隊司令第3代航空幕僚長で参議院議員でもあったので 一時期 TVでお目に掛かったことがある日本海軍航空隊の第一人者だ。


航空の神様といわれるのは 天孫降臨に先立って 饒速日命(にぎはやのみこと)が天磐船に乗って降臨した時に 三本の矢を射たが その矢が落ちた所と言われている。
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一の矢(左)は この神社から南へ500mほどの田圃の中にあって 私有地だそうだ。この碑以外には特に何もない。
二の矢(右)は この神社の中にある。

それより北へ500mほど行くと 三の矢が落ちた場所がある。
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ここには「伝承邪馬台国想定地」という石碑が立てられている。この文字は吉田泰一郎書となっている。前々の市長である。

初めに、河内国の河上の哮峰(いかるがのみね)に天降られ、大和国の鳥見の白庭山(境内)に遷り住まわれた。哮の峰では祭祀を営まれたが、宮居とされず、再び天磐船にお乗りになり、大和の天空を駆け巡りながら 「吾が宮居の地に導き給え」の祈願とともに矢三本を放たれたという。

こうして放たれた矢が落ち地を「矢田」と呼び、この神社を「矢落神社」と呼ばれるようになったと言われている。

古い話は 些か混同していることもあるようで何を信じるかは夫々だと ガイドさんも言われていた。
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by souu-3 | 2013-09-01 05:31 | 奈良
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